たんぽぽの自己啓発的日常

日常であったこと、感じたことについて、人生のヒントになりそうなことを綴っていくブログです

ネット制限をはじめる(2017)

こんばんは。たんぽぽです

ネット・ゲーム制限開始

本日より、ネットとゲームに費やす時間を減らすべく、習慣改善を始めました。基本的なルールとしては、「特に仕事と関係ないネット利用、PCでのゲームは20時~24時の間のみ許可する」というものです。結構あまあまですが、最初はこんなとこで。


習慣の改善はいくつも同時に始めると簡単に破綻するので、1度に変える習慣は1つが原則、と『「やめる」習慣』にありまして。私も経験からそれは嫌というほど感じていたので、この原則に従うことに。

どの習慣から改善するか、シミュレートする

しかし、私の生活習慣を乱している大きな習慣は「ネット依存」と「夜更かし」の2つ。どうしてもどちらも止めたい・・・!と悩みます。で、どちらを優先すべきかシミュレートしてみたのですが


1:ネットを制限すると
時間ができるので、仕事やほかの趣味もはかどる。気持ちが充実して、ストレス解消にネットをする必要が減る。また、夜更かしするときはほぼ例外なくネットかゲームをやめられないとき(稀に読書がやめられないことが)なので、ネット制限すれば、自動的に夜更かしはなくなる


2:夜更かしを制限すると
早寝早起きが軌道に乗れば、全体の習慣改善が見込める。が、ネット・ゲームをやめない限り、それに毎日時間を取られてしまう。ネット・ゲームに一旦はまりこむと(ドーパミンの誘惑から抜けられない状態)、自分のコントロールを完全に失ってしまい、習慣改善のことなど忘れてしまう


ということで、ネットとゲームの制限なしに夜更かしやめるなんて99%無理だ。という結論に至ったので、ネット制限から始めることにしました。

過去の失敗

去年の9月~10月にかけて、「日中のネット制限」というのを試みたことがあったのですが、大体4、5日できつくなり、継続できたのは2週間くらいでした。また、意志力が摩耗したのか6日目に9か月以上続けていたオナ禁もリセットしてしまい、計画的な行動なしに意志力だけで習慣を変えることの難しさを思い知っています。


tanpopo8787.hatenablog.com

ちなみに、この記事でやめられなかったブラゲーというのは、先日やめた艦これですね。


今日のような「自己改善始めました」系の記事は、気分を盛り上げて自己満足するだけで終わってしまうリスクがあるので、やめておこうかとも思ったのですが、自分が思ったよりも冷静なので、記録として記事にすることにしました


上記の「計画的な行動」の中身については、追ってまとめるつもりです。今回のチャレンジの糧になったのであれば、去年の様々なチャレンジと挫折も無駄ではなかったんだろうな、と思ったり。


ひとまず1日目はうまくいっていい感じです。明らかに頭もすっきりしていますね。今後も良い報告をできるようにかんばります。


ここまでお読み頂き、ありがとうございました。


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オナ禁日記227日目 〇日目という考え方の落とし穴

こんばんは。たんぽぽです

失敗に関する取扱い 一度失敗したらアウトか

先日から、ネット依存と夜更かしの習慣を改善すべく『「やめる」習慣』を読み込んでおります。本格的な取り組みはまだですが、今日は自己コントロールがうまくいって、なかなか良い感じです。


新しい自分に生まれ変わる 「やめる」習慣

新しい自分に生まれ変わる 「やめる」習慣


そんななかで、本を読んでいて気になったのが、失敗に関する取扱いです。依存性の高い習慣をやめようとする場合、最初はとにかく失敗しやすいです。その場合、失敗パターンを毎日確認して、こつこつと対策を練り、トライアンドエラーを繰り返していきます。1回失敗したからもう駄目だ!では習慣改善はおぼつきませんからね。

習慣改善には一定の日数がかかる

脳が特定の行動や思考を習慣とみなす(つまり、自分にとって当たり前のこと、と認識するようになる)には、一定の時間がかかります


この本によると、習慣は種類によって3種類に分けられるということで

1.行動習慣 要1か月 :ネットサーフィン、無駄遣い など
2.身体習慣 要3か月 :たばこ、食べ過ぎ、夜更かし など
3.思考習慣 要6か月 :イライラ、クヨクヨ、完璧主義 など


このようにそれぞれ習慣解消にかかる時間が異なるとのこと。この考え方に従うならば、オナ禁も「オナ禁を決意してからの日数」というのを意識しても良いはずです。(単純に身体習慣とみなすのであれば、3か月。ただ、中毒性が高いので人によってはもっとかかる気もします)

言葉の罠

そんな中で、ふと思ったのは「オナ禁継続日数」や「リセット」という言葉がひとり歩きしすぎているのではないだろうか、ということです。(記事タイトルに継続日数を書いて、こういうこと言うのもアレですが)


確かに、オナニーの陶酔感、射精に伴う快感は強烈なもので、一旦オナ禁を決意したならば、万難を排してオナニーをやめるべきでしょう。また、「昨日はオナ禁成功したから、今日はオナニーしてもいいや」といった思考も本末転倒です。オナ禁継続日数が一定の指標となることは紛れもない事実だと思います。


ただ、最後の射精(あるいは自分で決めた特定のライン)からの日数のみを評価基準とすることは、オナ禁のために努力した軌跡を自ら踏みにじる行為になりかねないのではないだろうか、ということを危惧しています。


特に、日数が伸びづらい最初のうちは、いろいろ対策してもうっかりオナってしまうことがあります。そんな時、1か月続けても最高4日、となれば、1か月間の努力が無駄になったように感じてしまうかもしれません。


ではどうすれば良いのか、ということについても考えてみたのですが、長くなりそうなので、こちらは後日まとめてみます。


ここまでお読み頂き、ありがとうございました。


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頭をぶつける(痛い)

こんばんは。たんぽぽです

いてぇ!

今日も雨でした。毎日散歩に行っていたのに、3日連続で行かないとなんとなく調子が狂う感じですね。今日は午前中にちょっと気合いれて行動したのもあってか、午後はちょっとぼーっとしていて。そのせいか箪笥の角に頭(額の生え際あたり)をぶつけてしまいました。


超痛かったです。思わずうずくまってしまいましたが、これは考えて行動しているわけではないので、痛みに対処しようとする無意識の反応なのでしょうね。ちょうど足をぶつけたときにぴょんぴょんするのと同じような感じなんだと思います。

意外なところでマインドフルネス

で、頭を抱えてうずくまって、2・3秒だと思うのですが。当然「あれっ、別にうずくまる必要なくね?」と、気づき。立ち上がって、落ち着くことができました。でも、ぶつけてたところはやっぱり痛かったです(笑)


この、痛みに対する反応からの「脱同一化」(反応に意識が飲まれている「同一化」の状態から離れること)は、突然起きたので、私が意図したものではないのですが、瞑想とか、内観のトレーニングとかしてると時々こういうことがあります。

何かの役に立つのか

思考パターンに対してこういった「気づき」が訪れることはたまにあったのですが、こういう強烈な身体反応に対してもマインドフルネスが発揮されることがあるのだな、という面白い体験でした。


こういう「気づき」は一見偶発的に起きて再現性がないように見えますが、一度起こると脳はそれを体験として記憶するので、以降は「反応」からの脱同一化が強化され、より意図的に人生をコントロールする役に立ちます。まあ、肉体の痛みに対応する場面はあまり歓迎したくありませんが。


日々の瞑想は一見するとリラックスして頭がすっきりするくらいに思えますが、月単位・年単位で続けていくと、こういう思いもよらない視点が開けてくることがあるので面白いところです。とりあえず、たんこぶができてしまったので、回復のためにも早く寝ようと思います。


ここまでお読み頂き、ありがとうございました。


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意志力が低いっぽいので習慣化でがんばる

こんばんは。たんぽぽです

うわっ... 私の意志力低すぎ...?

先日の記事で、

最近は自分の意志力の弱さに諦めがつき、だんだん現実を向き合うようになってきましたので、いくつかの注意点でもって、人生の改善を図るつもりです。うまくいきましたら、ご報告させていただきたいと思います。

と書きました。


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この日に立てた作戦は
(1)1日に一つの目標を立てて、その目標だけは死守する。
(2)うまくいったら、次の日は別の目標を追加する
(3)うまくいかないときに、自分を責めるのはやめる


というものでした。


月曜日から初めて、第1の目標(難関の早寝早起き)をクリア。火曜日は第2の目標(午後30分の読書)をクリア、したのですが、早寝早起きに失敗。以降、がたがたと崩れて三日坊主にすらなれませんでした。

まだ現実を見ていない

客観的に言うと、作戦が無謀でしたね。(1)はいい目のつけどころなのですが、これだと一度に一つのことしか目標にできません。なので、欲を出した私は(2)で1日1つ新しい行動を増やすことをもくろみました。これがまず不可能です。


実行に意志力を要することを、1日で習慣化するのは基本無理なので、この作戦だと必要な意志力が毎日2倍、3倍に増えていくことになります。失敗して当たり前です。薄々感づいてはいたんですが、また甘く考えてしまいました。

自分を責めないのは大切

(3)も思いついて追加しておいたのですが、これはものすごく大切でした。意識して自分を責める感情をコントロールするようにしたところ、落胆によるエネルギー消耗が激減することが実感でき、改めて自己否定の無意味さを思い知りました。


失敗して思い切り後悔して、「よし、次はこんな後悔しないようにしよう!」となる人もいるらしいですが、私の場合、そういう発想にどうにもならないので、単純に自分を責めるのをやめたほうがいいみたいです。

習慣化で攻めてみる

おりしも、amazonでよさげな本を見つけました。『「やめる」習慣』なる習慣のハウツー本ですね。ネット中毒と、それに伴う夜更かしが一番の問題と思われるので、そこから攻めてみるつもりです。


新しい自分に生まれ変わる 「やめる」習慣

新しい自分に生まれ変わる 「やめる」習慣


ここまでお読み頂き、ありがとうございました。


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必要でなくなったもの

こんばんは。たんぽぽです

片づけ

祖父の遺品の片づけがいろいろとあるのですが、まあ、あるわあるわ。今日はユーキャンの未開封ビデオとか、CDとか出てきまして。母から処分できないかと聞かれたのでネットで調べてみたのですがCDはともかく、VHSビデオは需要も供給もなさそうですね。


私が小さいころは金曜ロードショージブリアニメがやってたりすると、ビデオに撮って楽しんだりしたものですが、今はもうDVDに録画する時代なのでしょうか。もう10年以上まともにTVを見ないのでそのへん分からなかったり。

空きスペース

祖父は多趣味な人だったので、いろんなものがあるのですが、どんどこ捨てていくと家の中がどんどこ広くなっていって面白いです。去年、自分の本を大量に処分したときにも思ったことですが、ものというのは持っているだけでスペースを占有してしまうのだな、と実感できます。


もの自体が悪さをするわけではないのですが、空間を使うので、新しいものが入ってくる余地をなくしてしまうんですよね。地味に風通しも悪くなりますし、体を動かせるスペースも減るので、のびのびできなくなります。

空きタイム

時間も空間と同じ感じで。空間における使わないものというのは、時間における不要になった習慣に相当すると考えられるかもしれません。ものの場合は場所を占有するくらいですが、習慣の場合は時間と一緒に気力体力というエネルギーも使いますからね。


そう考えると、ものを捨てる。習慣をやめる。という作業は、人生の質を上げるうえで大変重要であるのだな、と改めて思うところです。


ここまでお読み頂き、ありがとうございました。


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自分の現在の能力

こんばんは。たんぽぽです

能力について考える

唐突ですが、私は「能力」という言葉があまり好きではありませんでした。この言葉は、なにか、人を冷たい物差しで測る、よくないもののように感じでいたことがひとつ。そして、「能力」について考えることは、必然的に自分の「できないこと」について考えることにつながると思っていたためです。


自分が何かを「できない」ということに目を向けるのが、なにか、とても恐ろしいことのように感じていた部分があったのだと思います。

その恐れのでどころ

なぜ、自分が何かを「できない」ことがそこまで恐ろしいのか。これはひとえに自分の価値が下がるように感じるからです。


〇〇ができない → そんな自分に価値はない → 自分に存在価値はない


という、極めて短絡的な発想ですが、自己価値の低い状態だと、こういった思考の連鎖が起きることがあります。

その弊害

しかしながら、自分の能力を直視しないことは大きな弊害を生み出します。まったく運動習慣のない人がいきなりフルマラソンを完走したり、テスト勉強をしない人が良い点数を取ることが難しいように、自分の能力を把握できないと、無理な目標を達成しようとして、失敗することになります。


そして、その失敗によってまた自己評価が下がるという悪循環に陥ることも。すべてがすべてではありませんが、昨年の私は割とそんな状態にあった気がします。自己改善のためにたくさん目標を立てて一気にやろうとしたあたりなんかそうですね。

能力が低いことを「悪」と考えないこと

逆に言えば、十分な運動習慣のある人はフルマラソンを完走できますし、日ごろから勉強している人が良い点数を取ることはやさしいです。必要なことは、自分の現状と目標との間にどの程度のギャップがあるか把握することなのでしょう(自己啓発でよく言われるやつですね)。


当然、フルマラソンを完走できる肉体を1日、2日で手に入れることはできません。昨日の記事と似たような話になりますが、現実を踏まえて、こつこつやっていくを忘れないようにするのが大事かな。と思って、最近は色々試しています。


ここまでお読み頂き、ありがとうございました。


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熟練のわざに思う

こんばんは。たんぽぽです

幸楽苑にて

本日は外出しておりまして、帰りは幸楽苑でねぎラーメンを食べてきました。醤油ラーメン(今のメニュー名はあっさり中華そばでしょうか)にねぎが乗って+100円。メンマがないので個人的にはかえって物足りないような印象もありますね(笑)


地元の幸楽苑には時々足を運ぶのですが、今日は新しい店員さんが入っていまして。40くらいの男性なのですが、笑顔がきっちりしていて、言葉遣いがすごく丁寧でちょっとビックリしました。そういうことをやっていた方なのか。元々得意分野なのか、訓練されたのかは分かりませんが。やりおるな、という印象でしたね。

熟練のわざと未熟なわざ

この店員さんの接客態度が実際に熟練のわざかどうかは分かりませんが(私がいい感じに思っただけですので)、私は何事につけても熟練の職人技というやつが大好きで。無駄なく、流れる水のように物事を運ぶ様に非常な美しさを覚えます。


半面、この熟練の、「完成された」仕事に対する強い憧れは、私の中で「未熟な」仕事に対する否定的認識につながるときがあり。ひどいときには荒い仕事に対する侮蔑、軽視といったエゴに囚われたアンバランスな思考を生み出すことさえあります。


先日、ある人から「熟達した成功者の姿だけを見ていると、かえってうまくいかない」的な指摘を頂いたのですが、その意味が今日になって改めて飲み込めたように感じます。思い返してみると、3年くらい前に心理学の先生が同じようなことを言っていたので、やはりそういうものなのかもしれません。


成長にはステップがあるので、自分の成長具合を見つめて、ちょうどよいやり方を選ぶというのが大切なようです。ちょっと具体的じゃないですが、今日は自分の仕事のこととかについて、そんなことを考えていました。


ここまでお読み頂き、ありがとうございました。


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