リアリティに関するメモ
こんばんは。たんぽぽです
今日はノボロギクを発見
昨晩、就寝前にトイレに行った際。突然、世界が”リアリティ”を持って感じられた。鮮明に見えるというか、感覚が異常に鋭敏になったというか。そんな感じ。決してヤバい薬をやっているとかそういうわけではない。
何がきっかけになっているのか、はっきりとは分からない。最近のワークと、瞑想に関係しているとは思う。
現実感、というのもよく分からない言葉ではあるが、多分3年くらい前に見た夢を思い出す。家の中にいるというのに雪が降っていて、座敷の奥には見たことないお爺さんが座っていた。普段見る夢は、ぼんやりしていて視野も暗いが、その夢は現実よりも圧倒的に鮮明だった。
この時の感覚に近い。
スポーツ選手とか。あるいは狩猟採集に生きていた古代の人たちは、あるいはこういう感覚を有していたのだろうか?感覚は微妙に残っているので、再現できるか試してみても面白そう。
メモとして
ここまでお読み頂き、ありがとうございました。
自分用まとめ:
・記録
お米の袋が破れたり
こんばんは。たんぽぽです
昨日帰宅しましたが、疲労やらストレスやらで風邪気味です。鼻水ががが
一方で、暖かいので福寿草は2輪目が咲いていました。1輪目がくたびれてしまっているのが少々残念。
今日はそんな中、コイン精米機にお米を搗きにいったのですが、袋が古くなっていて精米したお米が袋からドザーッと出てきて大変なことに。家に走って戻って新しい袋に入れたら、帰り道に自転車でこけて、2つ目の袋もちょっと破け。さらにお米がこぼれるとかいうややこしい事態になりました。
思わず「ク〇が!」とか罵ってしまいましたね。あらやだ品がない。
ちなみに、東京生まれ東京育ちの友人に「コイン精米機って何?」と聞かれたことがなるので、一応ご説明しますと玄米を精米して、スーパーで売っている状態にする機械ですね。無人で動いていて、10kg100円とかです。
こういうの。
最近はイライラを無理に抑え込もうとしないように心がけているのと、いろいろネガティブな感情の解放を続けていたため、イライラしても長続きしないのが再確認できたのは良かったです。次はこうならないように気をつけたい。
ここまでお読み頂き、ありがとうございました。
自分用まとめ:
・イライラを抑え込もうとしないほうが、イライラが早く収まる
・こけると痛い
葛藤のしくみ その4 『気づく』ステップを考える
こんばんは。たんぽぽです
3/6の記事の続きとなります
〇気づきの深さ
前回、無意識下にしまい込まれた思考と感情に関して、いかに気づくか、ということについて思いついたところを書き綴ってみました。
前回は書けなかった部分の要素として、気づきの深さ。ということについて少し考えてみようかと思います。
と、いうのもこういったワークをしていると(自分でやる場合も、他の方の話を聞く場合も)「分かっているはずなのに、葛藤が解消できない」ということがあるからです。
その場合、例外なくまた自分が気づいていない、あるいは気づくのを避けている要素があります。
〇ステップで考えてみると
少し強引に、葛藤に対する気づきの深さをステップで分けてみると
1.葛藤の存在に気づいていない(イライラしたり、不快感を覚えるが、それを自分自身の問題として認識できていない)
2.葛藤の「存在」には気づいているが、自分を抑えられない(自分自身の中に問題があるという認識はあるが、葛藤に飲まれるときがある。辛い)
3.葛藤を発生させている感情、信念、体験に気づき、目を向けることができる
4.感情、信念、体験を許し、感謝し、手放すことができる
といった感じでしょうか。前も似たような記事を書いた気がしますが、ちょっといつごろか思い出せません・・・
1.の状態だと大抵の場合は問題を外側に見て、「あいつのせいでイライラする」とか、そんな感じになりますね。2.の場合には自分の中に問題があるのが分かっているのに、解決ができないので、自己嫌悪に陥りがちです。
3.までくると、かなり内観が進んだ状態で、葛藤に振り回されることがなくなってきます。4.は一応の最終ステップとして書きましたが、実際には一つの葛藤を解消すると、その下に隠されていた葛藤が見えてきたりしますので、気長にやるのが良い感じだと思います。
〇焦りにも気づく
個人的な感想なので、他の皆さんもそうであるかは分からないのですが、葛藤というのは苦しいものなので「早く解放されたい」という思いがイライラと共に出てきやすいです。
そのイライラに飲まれて、一時的に何かを諦めてしまったり。快楽に逃避したりすることもあります。しかし、その逃避行動や、逃避行動をする自分を責める心(自己嫌悪、自己批判)についてさえも”気づいて”いくことで、次第に気づきの脳内回路的なものができあがっていき、心も楽になっていきます。
よくある例えですが、1日2日のトレーニングでアスリートの筋力を手に入れることができないように、長年培ってきた心の姿勢をすぐに変更することは難しいです。気長にやるのが良さげですね。
ここまでお読み頂き、ありがとうございました。
自分用まとめ:
・「気づく」と言っても、文脈によって色々な意味がある
・焦ってもOK。イライラしてもOK
・千里の道も一歩より 長い道に萎縮する必要はないが、萎縮しても大丈夫
語感
こんばんは。たんぽぽです
昨晩は大変な風雨でした。おかげで何度も目が覚めて寝不足気味です。
〇変化
最近のブログは、自分中で色々な縛りが消えてきたこともあって自分の書きたいことを書かせてもらっているのですが、それだけに内容が変化してきていますね。
多くの人に読んでもらいたい、という欲もありますので、ブログ村というところに登録しておりますが、最近はめっきり「禁欲」のことも「オナ禁」のことも記事にしていないので、カテゴリを変えようかなーと思っています。
〇語感
ただ、私の専門というか得意分野は心理・カウンセリング・セラピー・瞑想。とかそのへんになるので、カテゴリ的には多分メンタルヘルスなんですよね。
私はネットにどっぷり浸かってきたタイプの人間なので特にそう感じるのかもしれませんが、メンタルヘルスって聞く人にどういう印象を与えるのでしょうか、と考えてしまうのです。言葉が近い「メンヘラ」というスラングがありますが、多分に侮蔑的印象を含んでいると思われます。
そういうところを考えると、情報発信というのは、自分の言葉だけではなく、より一般的な。いわば「共通言語」を意識せんといかんのかなー、と思うところです。
ブログ村から私のブログを見に来てくださっている方がどのくらいいるか分かりませんが、そんなわけないのでそのうちカテゴリ変更すると思われます。
ここまでお読み頂き、ありがとうございました。
自分用まとめ:
・自分の言葉が、相手にどう聞こえるか、を意識すると良いかも
憎悪
こんばんは。たんぽぽです
今日はお天気でしたが、寒い一日。暖かくなるにはまたしばらくかかりそうです。
〇憎悪の再発見
私が感情の解放ワークを始めてから50日目くらいになりますが、昨日は自分の憎悪に触れました。最初は別のテーマだったのですが、関連する感情を見ていくうちに、憎しみの感情が浮き上がってきたんですね。
くだらないものであふれる世界が憎い。自分を認めない他者が憎い。そんなことを考えることをやめられない自分が憎い。と、いったあたりが憎しみのテーマです。よく聞くフレーズではあります。
しかし、いざ自分がそういう感情を抱いているとなると、みっともない。恥ずかしい。情けない。といった社会的、自己否定的な感覚を避け、今の自分を守るために、この憎しみに蓋をしてしまったようです。
〇始まりは悲しみ
憎しみと触れ合い。憎しみに感謝して分かったのは、基本は悲しみであること。悲しみと苦痛・辛さが混ざり、その苦痛を避けるために(肉体的防衛本能として)攻撃性が生まれ、恐れなどと混濁した感情の塊(クラスタ)。それが一般に憎悪と呼ばれる感情のようです。
他のあらゆる感情と同様、憎しみもこれを否定してみないようにしようとすれば、己が存在を気付いてもらおうとして、より強さを増していきます。逆に、自分の憎しみと、その憎しみの基礎となった悲しみに気づき、それを認めることができれば。自然と感情は溶けて消えていきます。
自分の中に浮かぶ”あらゆる”感情は自分の一部であり、例外なく認め・許すことが自然体で、心を楽に生きるためには大切であるな。と改めて感じるとこです。
ここまでお読み頂き、ありがとうございました。
自分用まとめ:
・憎悪も自然な感情のひとつ
・憎しみにも感謝することができる