夢の中で聞こえた声
どうもこんばんは。たんぽぽです
ブログ更新を再び習慣化すべく、本日もキーボードをたたいております。
〇ソシャゲをやめて
昨日の記事に書きました通り、普通にソシャゲをやめられています。特定の時間を拘束されないというのは素晴らしい!娯楽のためのゲームなのに「拘束される」という表現が出てくるあたり、既に本末転倒な感がありますね(笑)
しかし、今日は空いた時間にぼーっとしてしまって、無気力になってしまいました。脳が「この時間ゲームするはずだよなー。何すんだっけー」みたいに命令待機状態みたいになってるんでしょうね。ここは意識的にやることを決める必要がありそう。
〇夢の中にて
さて、皆さんは夢を見ますか?より正確には、起きたときに見た夢を覚えているほうでしょうか?とお聞きするべきでしょうか。
見た夢を起きた後に記録していく行為を「夢日記」、といいますが、これを継続すると、見た夢を思い出しやすくなるという効果があります。時期によって頻度がまちまちですが、今年はわりとコンスタントに夢日記をつけているので、意外と寝起きに夢を覚えています。
今朝はちょっと面白い夢をみたのでご紹介を
中ぐらいの会議室で講義のようなものをうけています。モニターには6つのガスコンロが表示されていて、それぞれが違う形。噴き上げる炎もだいぶ違った形をしていました。どういう趣旨の講義なのかも定かではありませんが(夢なので)、私は
「毎時のガス使用量や、その他の規格、製造コストなどが分からなければ、比較は無意味ではないか?」
と、発言します。すると、どこからともなく
「その通り、君はそのように(考えるように)訓練されてきたから」
という言葉が聞こえてきました。
〇思考、判断のフレーム
その後、頭の中に断片的に情報が入ってきます。この情報は感覚的なもので、それを自分で理解できるように、言葉とイメージ、概念に翻訳していきます。
その中で気がついたのですが、私には「物事は定量的に、数値によって評価される必要があり、それが為されないという事態は怠慢であり、無価値なことである。」という、無意識の思考があったようです。
何年か前に流行った『ヘタリア』という国家擬人化漫画があるのですが、その中のキャラ、”ドイツ”のセリフに『意見したい奴は明確なデータを最初に呈示しろ!話はそれからだ!』というのがありまして、まさにそんな感じですね。
私は工学部出身なので、そこで叩きこまれた考え方かもなのしれません。しかし、私は結構面倒くさがり、かつ感覚的な部分も強いので、自分ではこれを実行しない(できない)でいたんですよね。そのせいで卒論のときはしんどい思いをしました。
そうした葛藤もあってこの思考がより無意識に押し込められていたのでしょう。これに気づいたことで、仕事がちょっとはかどりそうです。
〇原因の考察など
私の夢は基本的にイメージがぼんやりしていて、かつ無音なので、今回のは珍しいタイプの夢でした。昨日ソシャゲをやめたことによる自己肯定感とか、ブログを書いたことによる満足感とか、夢見に影響してそうですね。今日は満月なのでそのあたりの影響もあるかもしれません。
いつも革新的な効果があるとは言い切れませんが、気長に夢日記をつけていると、こういういいこともあったりするようです。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
自分用まとめ:
・改善に成功すると、夢見も良くなる??
・月の満ち欠けと夢見には関係があるかもしれない(NEW!)
やっとソシャゲをやめられた話
どうもこんばんは。たんぽぽです
前回の記事投稿からもう一週間経ってますね。いやー、怖ろしい。習慣化していないとこんなペースになってしまいます。
こんな更新のないブログを(なぜか)見に来てくださる皆様。あまつさえ星までつけていってくださる方々、本当に感謝しております。対面的な文言ではなく、本当にありがたく感じています。
〇初めてのソシャゲ(やめられない)
さて、最近の私の困りごとはソシャゲをやめられない、ということでした。実際のタイトルは伏せておきます。そういうブログでもないですからね(笑)
2か月少し前にたまたま始めてしまったスマホ用ソシャゲにはまり込んでしまい、猛烈に時間を奪われる結果となっていました。私はスマホを持っていないし、PCに慣れているので小さい画面でやるスマホゲーには微塵も興味がなかったのですが、ブラウザの端にしょっちゅう広告がでてくるものをクリックしてしまい、もの珍しさの刺激からか取り込まれてしまいました。
刷り込み的な現象でしょうか・・・
元々、PC用のブラウザゲームを2つ掛け持ちしてしている(この時点で結構問題がある説も・・・。ちなみに片方は艦これです。一度引退したのですが、半年ほどで復帰しました)のですが、これが3つになると時間が猛烈に奪われるわ、意識のエネルギーが分散するわで、ひどいことになります。2年前にも一度同じことがあったのですが、学習が足りなかったようです。
ブロントさん風に言うと「ソシャゲを三つ同時進行すると頭がおかしくなって死ぬ」といったところ。実際にときどき瞬間的にヌワーッってなります・・・
〇一日はきっちり24時間だぞ
そんな状況で新しい生活パターンを始めようとしても、気力体力、そして圧倒的な時間の不足でうまくいくはずもなく、昨日は夜になって「俺の人生おかしいだろふざけんな!」と爆発してしまいました。傍から見るとただのアホなのですが、本人は真面目なのが困ったところです。人生の問題というのは多かれ少なかれそういう側面があるのかもしれません。
その不満爆発のおかげでスマホゲーをやめることができ、だいぶポジティブになったので、ブログを書いております。
ちなみに、そのスマホゲーは、12時と19時にボーナスタイムみたいなのがあったんですよね。私がブログを書く時間と被っていたことも良くなかったです。
その他のも、1日のプレイ時間に対してボーナスがついたり、1時間間隔で更新されるチャレンジがあったり、PC用のブラウザゲームに比べると、スマホゲーはプレイヤーをログインさせ続けるための工夫が容赦なく、かなりえげつない感じがしますね。
まあ、2か月で辞められてよかったです。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
自分用まとめ:
・スマホゲーは中毒性が高いので、耐性が低いひとはやめといたほうが良さげ
リハビリと怖れ
どうもこんばんは。ご無沙汰しております
〇リハビリ記事と恐怖
しばらくブログを書く気力を失っていました。
春になって暖かくなったきたためか、多少やる気が回復してきたので、リハビリ用の投稿です。
特にまとまりのない内容であることを、とりあえず詫び申し上げます
いやー、ちょっと書くだけなのに大変な抵抗を感じますね。「ブログを書かない」習慣がついたということもあるのかもしれませんが、正直なところ、自分のブログに読まれる価値があるのか、という怖れを感じます
同時に、こういったネガティブなことを綴ること自体への怖れも。
逆に言うと、その怖れに負けず、逃げず、あえて記事を投稿するというのは勇気を使う行為なので実は挑戦的でポジティブなこと、とも言えるでしょう(我ながら)。
〇(自分の考える)ネガティブを認める
いつぞや、自分の娯楽への欲求や、性的な欲求をぶちまけた記事を書いたことがあり、その後、自分の中で何かが吹っ切れた。という体験がありました。
自分の中で「悪」「闇」「ネガティブ」「恥」などと考えてしまうと、そのぶんの感情エネルギーが抑圧されてしまい、自分の半分を殺して生きているような状態になります。なので、そこを肯定することができると重しが外れて、とても心が、そして人生が自由になっていきます。
つまり、今の私は「怖れ」を認める必要があるのかもしれません。
暖かくなって体の緊張もほぐれてきますし、新元号もきたことなので、またいろいろやってみたいと思います。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
自分用まとめ:
・けっこうつらいけど、怖れもみとめよう
慢心の防ぎ方
どうもお久しぶりです。お元気でしたでしょうか
〇慢心について考える
慢心すると、自分が何をしているのかを把握できなくなり、どうしてうまくいっていたのかを忘れ、何かを雑に扱ってもうまくいくかのように錯覚してしまう。
慢心の大きな原因の一つは「とにかく楽をしてエネルギー消費を抑えたい」という肉体的本能であるので、これを根絶するのは難しいと思われる。なので、相応のトレーニングを積むまでは、(実際にはその後こそが大事だったりするが)「人間は慢心するものだ」という前提のもとで行動するのが良いだろう。
そこで、慢心を防ぐ(最小化する)ための考え方というか、プロセスとしては、「慢心してはならない」という言葉を、それこそ漫然と使うのではなく、自分がいつ慢心しているのか。どのように慢心しているのかに気づく。把握することが第一に必要となる。
〇慢心する大まかな流れ
個人的な経験から慢心に至る思考を追っていくと
(1)何かがうまくいく
(2)嬉しい(快感)
(3)また快感を味わいたいと思う
(4)しかし、快感を味わうためのプロセスを面倒に感じる
(先に述べた肉体的本能が一因)
(5)必要なプロセス、集中力、工夫を省いて行動する
(自分では薄々そのことに気づいているが、表面上気づかないふりをする)
(6)当然失敗する
といった流れ。実際に慢心といった場合、(4)~(6)あたりのことを指すのだと思う。
平静であれば(5)において必ず生じる”違和感”に気づいて軌道修正できるはずなのだが、その時々の体調、環境、慣れなどによって、気づきが弱く行動に反映できない場合があり、残念な結果を招くことになる。
〇慢心しては『ダメ』と言う言葉は落とし穴にもなる
心の痛みに強い人(鈍感ともいう 悪い意味ではない)の場合、「慢心してはダメ」の言葉で軌道修正が容易であるが、心の痛みに弱い人(敏感な方 悪い意味でも良い意味でもない)の場合「慢心してはダメ」の言葉で萎縮し、かえって慢心した自分を隠してしまうパターンが発生する。
(慢心したらダメなので、慢心したという事実認識そのものを無意識に隠してしまい、結果、自分の慢心に気づいているのに慢心の状態から抜け出せないという泥沼に嵌る。)
なので、繰り返しになるが、「人間は慢心するものだ」という前提のもとで、自分が慢心しているかどうかを定期的にチェックするのが、ひとつの健康的な方法だと思われる。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
自分用まとめ:
・慢心チェック
・自分に厳しくするにしても、「厳しく厳しくする」やり方と、「やさしく厳しくする」やり方がある
魔女の宅急便に自意識過剰を学ぶ
私はどうにも自分に自信がないところがあり、人目を気にして身動きがとれなくなってしまうことが多いです。
本日、たまたまたどり着いたブログで見つけた魔女の宅急便の解説記事が見つかりまして、そこで「自意識過剰」について少し知見を深めることができました。
映画という分かりやすい、ひとつの物語(ストーリー)として観ると、大なり小なり自意識過剰の経験というのは人間の自然な成長プロセスのひとつと言えるのかもしれません。
自意識過剰っていうなれば自分が人から注目されてると勝手に思って、心の中ではビクビクしてるわけなので、率直に言ってカッコ悪いですね。なので、自分が自意識過剰だと認めるのはなかなか辛い。
しかし、自分の自意識過剰を認めないで、見て見ぬふりを続けていては、そこから脱出することは難しくなります。まずは、自分が自分が自意識過剰であると認識して、それを認めてあげることからスタートするのもよさそうな感じ。
ウルスラのアドバイスのようにがむしゃらに行動したり、何もしないでみたり。
あるいは、友人の危機を助けようとしたキキのように、どうしようもなく行動せざると得ないような状況に飛び込んでみたりするのも良いのかもしれませんね。
ここまでお読み頂きありがとうございました。
こいのぼりの高由さん
〇悪夢 薄暗い場所
八畳敷きの部屋が2つくらい連なった場所。なにか怪しげな集団が見えた。場の空気が良くない。いやな場所だ。悪意を持った何かがいるような気がする。チリチリとした警戒感と恐怖を感じる。
視界が切り替わると、空に鯉のぼりが翻っているのが見える。黒、赤、青の三匹。赤いのが竿から外れてこちらに襲い掛かってくる。どっしりとした重みを感じる。自分に何か嫌なことを言っていたような気がする。
〇夢に突き動かされる
どうも、ご無沙汰しております。引っ越しから2か月半ほど更新をサボっておりました。今朝、久しぶりに悪夢を見まして。結構鮮明で面白い内容だったので、ブログに書こうか。などと考え、久しぶりにはてなブログを開いたところです。
今朝の目覚めはいや~な気分で、顔を洗うまでの10分くらいは恐怖感に浸っていて鬱々としておりました。が、そのくらい経つと、脳内物質が分解されてくるのか、恐怖感はなくなり、夢の意味の読みときが脳内で勝手に始まっていくのが面白かったです。
そうすると、この内容を表現したくて仕方なくなってくる。私のは単なる駄文ですが、小説家とか、劇作家とかいう、いわゆる表現者の方たちは、こういう気分なのだろうか、と思ったりします。
〇悪夢の活用法
さて、目覚めたときに悪夢の内容を覚えているのはラッキーです。以前の私の場合、悪夢を思い返すことで、また同じような体験をするのが嫌で、無意識に忘れようとしていたのですが、これはあまり賢い方法ではありませんでした。
悪夢は、起きている間は無意識下に押し込められているネガティブな情報、思考、感情が浮かび上がってきて脳内で寸劇を繰り広げているような状態なので、それを見ることができれば、自分が普段、何を見ないふりをしているのか、を識ることができます。
普段はこうしたネガティブな情報は「見ようとしても見えない」くらいに巧みに隠されているので(他人から見るとまるわかりなのですが、本人だけは気づけません)、ブロックが解除されて、それを見ることができる悪夢はチャンスなのですね。
この情報を見て、自分が何をネガティブと定義して、何を「見ないふり」しているのかを知ることが、そのくびきから自由になる第一歩です。最初は怖かったりしますが、なるたけ大事にすると良いことあると思います。
〇鯉のぼりの名前
ちなみになのですが、この雌の鯉のぼりは自分から「高由美佳」と名前を名乗りました。なんだそれ・・・。(ちなみに知り合いに「高由さん」はいません。)夢から覚めたときはすっごい気持ち悪かったです。
が。これ、おそらく「高」い理想に「由」来して発生するネガティブな感情。という無意識からのメッセージですね。私は無暗に目標を高く設定して、できない自分を責める癖がありますので、その暗示でしょう。
雌なのはお察し。なぜ鯉のぼりなのかは不明です。もしかすると、小さい時の私は鯉のぼりが怖くて、それを忘れているのかもしれません。あるいは、恋と鯉をかけている可能性もありますね。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
自分用まとめ:
・悪夢は「隠された自分の感情」を知る絶好のチャンス
ノアザミの綿毛 それを楽しむ自分
こんばんは。たんぽぽです
今日は曇りのち晴れ。なかなか暑い
例によって引っ越しの準備をする一日。段ボールを集めたり、段ボールに色々詰め込んだり。
以前も記事に書いたノアザミ群生ポイントに行くと、クマバチが蜜を集めていました。
そして綿毛。タンポポの綿毛を大きくしたような綿毛がもじゃっとついています。ノアザミが綿毛をつけるのは初めて知りました。そういえばアザミもタンポポと同じキク科でしたね。
庭ではカサブランカが咲き始めました。梅雨明け宣言もでたらしいですし、本格的に夏な感じです。
一昨日のブログで、まとめに『知らないことは面白い』と書いたのですが、自分で引っ張り出したこの言葉に、結構考えるところがありまして。
昨日、今日あたり、人生は「発見を楽しむ冒険である」という価値観は、割といい感じなのではないかな、などと思いながら過ごしています。
ぼーっとしていると、習慣に流されるままに生きることが多いですが、新しい何かを探す。という価値観、習慣を採用することで、自分をアップデートしていきやすくなるのではないか。などと感じるところです。
ここまでお読み頂きありがとうございました。
自分用まとめ:
・新しいことを楽しむ自分を肯定していく