たんぽぽの自己啓発的日常

日常であったこと、感じたことについて、人生のヒントになりそうなことを綴っていくブログです

片付け改革 1日目 影(シャドウ)の発見

こんばんは。たんぽぽです
今回ちょっと長いので、お時間ある時にどうぞ


<前置き>
突然ですが、私がブログを書くにあたって決めているルールが一つあります。それは批判・批評・攻撃をしないということです。ブログに限らず、コンテンツが人気を集めるためには「読んでいて心地よい」ということが重要視されます。そのためか、批評・批判の記事は一定の人気を集めます。読者は批評する対象を下に見ることで、自分の価値が高くなったように感じるからです。このブログは私自身がエゴからの解放を目指しているため、そういったエゴを利用する方法は極力避け、冒頭のルールを設けました。


自分の中の気持ちを隠して中途半端な記事を書くのは良くないという判断から、今回はあえて上のルールを破ります。


<読みにくい本>
昨日届いた人生がときめく片づけの魔法ですが、私にとっては非常に読みにくい本でした。私が読む際に苦痛を感じる要素は2種類ありまして

 1.中身がない(私が興味を惹かれないという意味を含む)
 2.読みにくい(文章が下手、構成に歪みがあるなど、単純に読みにくい)

という要素のどちらか、または両方を含んでいるとその本を読む気が無くなってしまいます。今回の本は2に該当する本でした。多くの人がそうかもしれませんが、私は普段自分の興味のある本しか買わないため、1は滅多にありません。1度だけ、駅でなんとなく買った本が全く意味を感じられない内容で10ページで放り出したことがあります。


<私がこの本をどう思っているか>
Amazonの書評を見て頂くと雰囲気は掴めると思いますが、この本はマーケティングの成功だけでベストセラーになった本ではないです。実際に”片づけコンサル”として活動する著者の眼のつけどころは素晴らしいものがあり、心の観点から見ても意義のあるものです。(今回は長くなるので詳細省きます。すみません)


問題点は先に書いたように、本が読みにくいということ。書こうと思えばもういくらでも悪口が書けるので詳細はAmazonのレビューでも見てください(笑)。私が言いたいことは全部書いてあります。(浅はかな批判もあるのでご注意)。個人的には、作者が文章を書くのがかなり下手であること、人間的な未熟さ、悪い意味での思い込みの強さが見て取れることがイライラさせられるところです。


私から見た作者の印象は「ダイヤの原石」といった感じですね。


<激烈な怒りと、その奥にあるものの探究>
読みにくい本を読んでいるとイライラしてくるのですが、今回の怒りは激烈なものでした。そのためか昨日の晩はストーブを消すのを忘れ、今朝はカーテンを開けるのを忘れ、今日の午後は買い物に行くのにメモを忘れかけ、という始末です。ここまでの強烈な怒りは稀なので、昨晩は瞑想状態に入ってから内観を行ったりしていました。


私から見て作者の方法は、センスを感じさせる一方で、言葉遣いと態度が非常に荒っぽく品性を感じません。瞑想中に私の心から出てきた言葉は「こんな(完成度の低い)人がヒットして活躍しているなんて」というものでした。最も分かりやすい言葉で言えば嫉妬です。そして、続けて出てきた言葉は「私はこんなに苦しんでいるのに」という意外なものでした。


<影(シャドウ)との再会>
夕方、買い物から帰ってきて、荷物をほどいている時に突然「影(シャドウ)」という言葉が頭に浮かび、それと同時に自分の無意識の動きを理解しました。私は色々な形において、自分を表現することを我慢していたのです。ゆえに、未熟に見えるにも関わらず、自分を堂々と表現し、活躍する作者が羨ましかったのでと思います。


いつ、そういう判断をしたのか定かではありませんが、周囲を気にせず自分を堂々と表現するということは、私の中ではしてはいけないこと。つまり、心理学でいうところの影(シャドウ)だったようです。(シャドウとは自分のアイデンティティを決定していく段階で、切り捨てて、無かったことにした自分の個性のことを言います。ゲームソフト「ペルソナシリーズ」をやったことがある人は分かるかも)


過去にも、芸術家系だったり、押しの強い人だったりは非常に苦手だったのですが、その理由がはっきりと分かりました。私は人目を気にせず、自分を堂々と表現していきたかったのです。その想いをいつからか押し殺して生きてきたということが、今回はっきり分かりました。


これですべてが解決したわけではありませんが、自己の成長と統合に向けて、大きな気づきを得られたことを嬉しく思います。

 

長文、ここまでお読み頂きありがとうございました

 

部屋ではなく心の片づけになりましたね