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たんぽぽの自己啓発的日常

日常であったこと、感じたことについて、人生のヒントになりそうなことを綴っていくブログです

オナ禁日記 58日目 怒りの害

こんばんは。たんぽぽです


オナ禁日記 58日目です


ちょい長めですので、結論を先に書きますと
「自分を攻撃していませんか?もし、そうなら止めた方が良いですよ」という話です


<葛藤の日々>
47日目の記事でポルノに走ってしまった、と書きましたがそれ以降断続的にエロに時間を浪費してしまう状態が続いています。1日平均15分~30分くらいでしょうか。オナニーをすることはないのですが、刹那的な快楽を求める感覚が活性化してしまい、建設的な活動に身が入りません。


特に昨日はほぼ1日をこれといった成果なしに過ごしてしまい、夜にはそのストレスか腹痛になってしまいした。会社にいたころは仕事のプレッシャーからくるストレスで慢性的に腹痛だったのですが、自分の意志を制御できないストレスでも腹痛になるものですね。


<叡智を引き出す>
私は就寝後、30分ほど瞑想状態に入ってから眠りにつく習慣があります(疲れていると寝落ちします)。その際に、性欲、ポルノ依存に関わる葛藤について、どうすれば解決できるのかを無意識に問いかけました。


無意識領域には、動物的な本能や、過去の傷から発する破壊的な自己が潜んでいると同時に、普段の思考を遥かに超えた叡智(高次無意識と呼んだりもします)も隠れています。思考を離れた瞑想状態に入ってから、この自らの叡智に問いかけると、優れたヒントが得られることが多いです。人間は通常脳の3%しか使っていない、と言いますが、残りの97%を瞬間的に使う感じですね。


なかなか自己統御ができないことにうんざりしていた私は、久しぶりに叡智に助けを求めると「観察しなさい」というメッセージが返ってきました。そうか、葛藤している自分を観察するのか。と気づいて自分の欲求を観察すると、すぐに面白いことに気づきました。


<葛藤を観察する>
ひとつめは自分が”ポルノ依存の自分を観察すること”を避けていたこと。依存症の自分を観察しているとき、実は観察している自分(意識)は依存症ではありません。依存の感覚から距離をおかなければ、それを観察することはできないからです。この観察を無意識に避けていたのは、ポルノから得られる快感、興奮に執着する心であった、ということが分かりました。感覚的な問題ではありますが、自分が依存症であるということを、より客観的に認識することで、依存状態から離れた感じです。


<弾圧する心>
ふたつめは”ポルノ依存の自分を攻撃する心”の存在。大変重要なことなのですが、”ポルノ依存の自分を改善しようとする心”と”ポルノ依存の自分を攻撃する心”は似ているようで、全く異なる存在です。


依存の心を、不良少年に例えると分かりやすいかもしれません。暴れてばかりいる少年に対して、その行動に怒りを持って怒鳴ったり、殴ったりしたらどうなるでしょうか?そういったやり方で少年が心から校正したという話はついぞ聞いたことがありません。逆に暴力を振るった大人に憎しみを覚え、さらなる破壊に手を染めることになるでしょう。


仮に大声や、鉄拳制裁(個人的には必要ないと思いますが)が含まれたとしても、相手の存在を認め、相手が善い状態になるように。という想いが無意識レベルで伝わればこそ、少年は暴れるのを止め、違った道を歩むのではないでしょうか?


<作用と反作用>
不良少年と同様、心は攻撃されると、自分を守るために『なにくそ!』と反撃し、かえって強固になる性質があります。ポルノ依存症も、これに対して怒りを持って向き合うとかえって逆効果で、これは自己改善全般においても同様だと思います。今回の瞑想中に気づきましたが、葛藤を引き起こしているのも、”ポルノ依存の自分を改善しようとする心”ではなく”ポルノ依存の自分を攻撃する心”のようです。正直エネルギーの浪費に感じます。


依存症を持っている自分を愛する、というのは難しいかもしれませんが、自己改善においてはかなり重要な要素なのではないかと思った次第です。勿論、依存症を持っている自分を愛するのであって、依存症を愛する(依存を続けてもOK!)というわけではありませんので、誤解のなきよう。


ここまでお読み頂きありがとうございました