読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

たんぽぽの自己啓発的日常

日常であったこと、感じたことについて、人生のヒントになりそうなことを綴っていくブログです

善悪の出どころ

こんばんは。たんぽぽです


前回、前々回と瞑想によって考えを止めるお話をしておいてなんですが、私自身は今でもしばしば自分の思考に翻弄されている時があります。意識の探究を始める前は、翻弄されていることにすら気づいてなかったので、その時よりはましなのでしょうが(笑)


<善悪の判断という罠>
5/23の記事でもちらっと触れていましたが、自分の中で、行動や出来事を善悪に分類する思考があります。私のこの行動は良い行動、この思考は悪い思考。といちいち判断するのです。「良い」に分類される場合はまだマシなのですが、「悪い」に分類された場合はたまったものではありません。判断緒対象が自分であれば、自己否定によってモチベーションが下がりますし、対象が他者であればエゴの肥大化を招きます。

tanpopo8787.hatenablog.com


<見えない基準>
そもそもの話として、善悪の判断の基準というのは非常に曖昧です。基本的にはそれまでの人生で取り込んできた考え方が合成されて基準になっているものでしょうが、ところ変われれば価値観など簡単に変わりますし、周囲の考え方が自分に合っているかどうかも不確かです。


周囲との人間関係をおざなりにして良いという考えはややバランスを欠いていると思いますが、ある程度自分の中から出てきた基準が必要だと思います。


<どのように行動するのか>
人間の行動を考えた時、その最終的な到達点としては、硬直化した基準を持たず、その場に応じて行動できるというのが良いのかもしれませんが、そういうのはちょっと難しそうです。


なので、とりあえずの方便としての基準を考えてみました。出所不明の「善悪」ではなく、「その行動が自分の人生に喜びをもたらすか」という基準です。多分何かの本で読んだ言葉だと思いますが、こういった基準であれば、自分の感覚も引き出せるし、理不尽な否定も起こしにくいのではないかと思います。


今朝、歯磨きをしながらそんなことを考えていました。


ここまでお読み頂きありがとうございました