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たんぽぽの自己啓発的日常

日常であったこと、感じたことについて、人生のヒントになりそうなことを綴っていくブログです

自分を苦しめる思考

こんばんは。たんぽぽです。
今回、少し長めになっております

不愉快な朝

1週間より少し前、7/10(日)の朝のことです。この日は朝から母の機嫌を損ねてしまい、せっかくの外出が台無しでした。この時、自分の気分が悪いことは自覚できていたので、なんとか「良い気分になろう」「切り替えよう」としていたのですが、なかなかうまくいきませんでした。


攻撃的な発言を受けた後、自己防衛のために怒りの感情が出ていると、その感情に流されて冷静な思考、洞察が難しくなります。今の冷静な状態であれば「不愉快」な状態を「愉快」な状態に書き換えるのは単なる無理強いであり、到底望めないことであると分かるのですが、この時はそれにも気づかず歩いていました。

突然の解放

街中を移動していると、自分の感情とは関係なしに、色々な風景が眼に入ってきます。その風景に意識が引っ張られたのか、他に要因があったのか分かりませんが。フッと、自分が苦しみの感情から解放された瞬間がありました。


この瞬間に私が観察したことを順番に書きますと
 ①まず、自分が怒りの状態にない、ことに気づきました
 ②次の瞬間(多分、2、3秒後)、怒りの感情が戻ってきました
 ③すぐ後に(0.3~0.5秒後くらい?)に、怒りは良くないという思考が生まれました
 ④とても不愉快な気分に戻りました


この一連の動きをふり返った時、私は雷に打たれたような衝撃を受けました。

意識は思考ではない

私たちが怒っているとき、その感覚が強烈なので自分はずっとプリプリしているように思いがちですが、実は意識が怒りの感情と、それに関わる思考にフォーカスしているだけで、私たちという”意識”自体が怒っているわけではありません。①の状態では、何かのきっかけで意識が”自分という意識そのもの”にフォーカスしたことで、怒りから離れたのだと思います。


意識と思考のかかわりについては3年ほど前から学んでいて、実践練習もしていたのですが、ここまではっきりと認識できたのは初めてで衝撃的でした。

苦しみの本当の出どころ

もう一つ驚いたことは、私の苦しみは「怒り」ではなく「葛藤」であったことです。数秒間継続した”意識”的状態は、またフォーカスが怒りの感覚へと戻っていく中で薄れていったのですが、怒りが戻ってくる感覚(②)と、さらに苦しみが戻ってくる感覚(③、④)には違いがあり、さらにその間にはわずかですが明確なタイムラグがありました。


人間が思考をする、言い換えると物事に意味づけをするには0.3秒かかる。という話を聞いたことがあります。おそらく、このタイムラグは思考が発生するまでの時間なのでしょう。


このタイムラグのおかげで、私の中の苦しみは「怒り」ではなく、怒りを悪であると断じて、自分を攻撃する思考によって生じた葛藤であることがはっきりと認識できました。

自己批判という毒

この出来事以降、私が罪悪感から完全に解放されたかというと、別にそんなことはありません。しかし、罪悪感の有害さを痛烈に体感することができたため、以後、自分の中で生じるネガティブな感情と同様に、自分の感情を攻撃する心の動きに注視するようになり、結果、葛藤に悩まされることは少なくなりました。


おそらく、罪悪感を生み出す「善悪」「罪と罰」の物語は文化的に浸透していて、人間の無意識にはびこっているのでしょう。私がたびたびとりあげるスタンフォードの自分を変える教室 (だいわ文庫)にも、自己批判は毒にこそなれ、何も役にも立たないことが取り上げられています(4章、6章)


この、一見正義にあふれて見える有害な概念から人格を解放することは、より良い人生を歩む上で欠かせないのではないか、と感じた出来事でした。


ここまでお読み頂きありがとうございました