私の歩み その1
こんばんは。たんぽぽです
前回の記事で記した通り、私が自己改善の道を歩むようになった経緯を振り返ってみようかと思います。お話の性質上、ややネガティブな部分もありますので、苦手な方はブラウザバックでお願いします。
前置き
私の記憶がしっかりと残り始めるのは、小学校6年生くらいからですが、じっくりと探ってみると意外と昔の記憶も思い出せます。幼稚園の頃のいくつかの記憶です。その際に気づいたことは、本来の自分の性格というのは、現在の自己認識とは結構違う、ということでした。
私は基本的に自分のことを「おとなしく、内向的な性格」と定義してしたのですが、実はそんなことはなくて。小学校3、4年や、幼稚園の頃の断片的な記憶によると、ふざけるのが好き、おしゃべりも大好き、という傾向が見え隠れします。つまり、生まれてからの体験によって、自分の生来の性質を抑圧しているということです。
これは多かれ少なかれ誰にでもあることで、私が特に珍しいというわけではありません。しかし、普通のことだからと言って、それを放っておいて良いということには決してなりません。現に、私はそのことで意識的、無意識的に苦しむことになっていますからね。
幼少期
先日ブログでご紹介した『五つの傷』を読んで初めて気づいたことですが、私が最初に「傷」と呼べるものを体験したのはおそらく0歳の時。詳しい経緯は分かりませんが、ミルクが与えられなかったことがあったようなのです。
何度か母に聞いた話なのですが「泣いているから、お腹が空いているのかと思うと、泣き止んで寝てしまったので、結局ミルクをあげない」ということがあって、結果発育不良になり、病院の先生にえらく怒られたとか。この話を聞いたときは「ひでぇ」と思いましたが、どうもひどいどころの話ではないようで。推測するに、この体験から乳幼児であった私は『要求してもどうせ応えてもらえないから、要求するだけ無駄』という行動戦略を身につけてしまったようです。
「そんな記憶にも残らない時期に」と思われるかもしれませんが、こういった深い無意識のパターンは基本的に0歳~7歳までに形成されるのが定説となっています。興味の有る方は、ヒプノセラピー関連書籍や、先に挙げた『五つの傷』など読んでみてください。
そういった、自分でも全く気づいていないレベルの、母親からの『拒絶による傷』を核として、私の心の旅は始まっていきました。
次回は、私がアイデンティティを築き上げ、それが崩壊していき、その苦しみから逃れるために自己改善の道へと入っていくあたりになると思います。
ここまでお読み頂きありがとうございました。
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