私の歩み その2
こんばんは。たんぽぽです
前回に引き続き、私が自己改善の道を歩むようになった経緯を振り返ります。
高校生まで ~優等生というアイデンティティ~
さて、私の母親は一種の教育ママでした。別に三角形の眼鏡をかけて、「キー!○○ザマス!」とか言ったりはしませんし、むしろ相当に(外向きには)謙虚なタイプの人です。今となってみれば、子供が将来食うに困らないように、という親心でそのようにしたのであろうことが分かりますが、それでも、平均値から見ればかなり「勉強」に重きを置いた生活をしていたと思います。
母も以前の私と同様「正しさ」にこだわる人でした。きっと、祖父もそうだったのでしょう。そのこともあってか、子供の頃はよく母に叩かれました。父にも叩かれたことはあると思うのですが、あまり記憶にありません。体が小さい頃に叩かれて、転がって茶箪笥にぶつかった時の記憶が鮮明に残っています。
テストの点数が低くても相当に怒られたと思います。その場面は思い出せないのですが、2年生くらいの時、テストで30点をとってしまい、とても怖くてテストをたたんで家具の隙間に隠したことを覚えています。
そんなこんなで、私は自分を条件付きで愛するようになっていきました。この場合、「成績が良ければ自分には価値がある。愛してもらえる」ということです。学習習慣のおかげで、テストの成績は良かったですが、進学校に入ると、頭の良い奴はいくらでもいるもので、高校2年くらいには、クラス1位を維持することは難しくなっていました。思えば、私のアイデンティティはこの頃には揺らぎ始めていたのでしょう。
大学にて ~勉強についていけない~
それでもなんとか、地元ではそれなりに優秀とされる大学に入ることができました。合格した時に高校から祖母に電話したのですが、祖母が喜んでくれたのがとても嬉しかったのを覚えています。私はただ、褒めてもらいたかったのかもしれません。
さて、それなりの大学に入ると、それなりの学力の人間が集まるのもので、私の学力はもはや優秀でもなんでもなくなっています。「偏差値」という言葉は示すとおり、学力というものは相対的評価によって価値が決まりますので、これをアイデンティティとすることはかなり難しいことが良く分かりますね。
困ったことに、私は引っ込み思案で(前回書いたなりゆきが原因かもしれません)、大学で積極的に人に話しかけたり、テスト対策で過去問を集めたりとかがうまくできませんでした。ギリギリ粘ってはいましたが、うまく勉強についていくことができず、最終的に2留することになります。私のメンタルが最も落ち込んだのはこの時でしょうね。部活も辞めてしまい、自己価値は地に落ちていました。
一方で。今となったからこそ分かりますが、この時、苦しみから脱するため、私の無意識は着実に行動を開始していました。おそらく大学2年後半あたり。自分のアイデンティティの崩壊がはっきりし始めたあたりから、私はちょっと変わった道へと歩み始めることになります。
ここまでお読み頂きありがとうございました。