幸せで「ある」という目標 その1
こんばんは。たんぽぽです
昨日の記事で私の人生の目的、そのメインが『幸せで”ある”こと』と書きましたが、そのことについて、ちょっと考察してみようと思います。
言葉の持つ意味
実を言うと、私は「幸せ」という言葉はあまり好きではありませんでした。万人に肯定的に受け取られやすい言葉であるがゆえに、あまりにも使い古されすぎているからです。特に、コマーシャル(広告)にですね。『これを手に入れれば、あなたは幸せになれる!』というキャッチフレーズは一つの広告の基本です。その中身は、家だったり、服だったり、情報商材だったり、あるいは社会的地位だったりします。(壺の場合もありますね)
本来、幸せは人間の欲する究極的な目的であるはずなのですが、商品を売るために使われ続けた結果、高層ビルの中に埋もれた小さな公園のように、その姿が見えにくくなってしまっている。そのように思った私は、一時期「幸せ」という言葉を避け、その言葉に怒りさえ感じていました。
しかし、様々な体験を通して、上に述べたような構造も「今ある現状」として、段々受け入れられるようになると、やはり「幸せ」は人生の大きな目標として据えるのに適した言葉であると考えるようになりました。
幸せで”ある” という言葉
幸せに”なる”。ではなく、幸せで”ある”。
単なる言葉の使い方。されど言葉の使い方。心理学や、人生論を語る人々の中には「言霊」と言って、とても言葉を大切にする人がいる一方で、言葉になんて何の意味もない、と言い切る人もいます。実は両方とも正しいと言えば正しいです。
おおまかに言うと、人は
①意識を持ち、
②その中で生じる思考、感情。または肉体からの感覚などから、
③行動が生じ、
④そして結果が生まれます。
⑤その結果に対してさまざまに反応するわけですが
②、③のあたりに影響を及ぼし得るのが、言葉。より正確に言えば言葉を介して伝えられる『情報』です。この『情報』は言葉のみで伝えられるものではなく、その場の状況、伝える側、伝えられる側の関係性、感情状態などが多分に影響します。つまり、「言葉」以外の要素が多数関わるのです。
なので、言葉を重視する、言葉が好きな人は「言葉は大切」と言いますし、それ以外の要素を重視する人は「言葉になんて意味はない」と言ったりします。ようは、同じ構造を違う角度から見ているだけですね。
このあたりはその人が言葉に焦点をおいてコミュニケーションしているか、それ以外の要素(表情、しぐさ、雰囲気)に焦点を置いているかによっても変わってくるので、相手の表現が自分と違う場合もあります。
脱線しすぎて幸せの話にならなかったので、続きは次回に・・・
ここまでお読み頂きありがとうございました。