たんぽぽの自己啓発的日常

日常であったこと、感じたことについて、人生のヒントになりそうなことを綴っていくブログです

恐怖の発見と再統合

こんばんは。たんぽぽです
今回長めです。

読みづらい本再び

昨日の記事でチラッと書いた「もうちょい軽めの本」なのですが、思ったよりも興味深い内容でして。その方法論を自分に適用してみたところ、大きな変化が得られたので、記録がてら記事にしておきます。ただ、昨日の今日なので、まだ未消化な部分が多く、そこのとこはお許しください。



この本です。まだ1/10くらいしか読んでいませんが、著者の方が臨床に携わっているだけあって、単なる理論では終わらず、実践的な視点があって、そこが大変良いです。困ったところは、まるで毎日のブログを無編集でそのまま本にしたようなつくりで(この表現はamazonレビューからお借りしてます)、まわりくどい。だらだらして見える。本全体にまとまりが見えにくい。などなど、書籍として見ると中の下と言わざるを得ないところですね。特に、著者の前作の話が普通に出てくるので、(私のように)この本から読み始めた人は混乱しがちです。


ブースカ文句を書きましたが、なかなか面白い本です。以下、なるほどと思った部分を私の理解で要約してみます。

恐怖の取り扱い

人はトラウマと呼ばれるような「恐怖」を覚える体験(典型例としては幼少時に親から理不尽に叱られるなど)をした場合。その感情を適切に消化、自分の経験として整理できない場合があります。


適切に体験が消化された場合、「怒られはしたけれど、親が何で怒ったのか理由が分かったし、今となってみれば良い思い出」というような感じで、自分の中で記憶と感情が整合、統合された状態で存在することになります。


しかし、それができなかった場合、「恐怖」と「恐怖を味わった状況」は『触れたくないネガティブ感情と状況記憶の混濁』として、記憶の奥底にしまいこまれます。シチュエーションとしては、整理整頓できない洋服や家具をアパートのクローゼットに無理矢理つっこんで、ドアだけ閉めたイメージでしょうか。


(見かけ上)眼には見えなくなっていますが、なくなったわけではないので、ふとした拍子に溢れだしてきて、自分の感情、思考、行動に混乱をもたらします。なぜかと言えば、記憶と感情が整理されずに、混乱状態のまま格納されているからです。

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「恐怖」は自分をしっかり持っていないと、とても恐ろしく”感じる”ものなので、このしまいこまれた恐怖からは眼をそむけがちになります。クローゼットの中のぐちゃぐちゃを整理するのが超面倒なのと一緒ですね。


しかし、整理整頓を先延ばしにすればするほど、がらくたがどんどん溢れかえっていくように、恐怖も放っておけば、放っておくほど、強力になっていきます。これは恐怖自体が力を増すわけではなく、人が恐怖から逃げ続けることが癖になって、「恐怖に恐怖する」ようになるためだと思われます(ここは私の独自解釈です)


逆に、自分のクローゼット。つまり心の奥底にしまいこんでいる「恐怖」を再発見し、その「恐怖」を直接に見つめることで、消化、昇華し、自分の体験とすることができます。そうなれば、もはや恐怖という感情は消え去り、自分の学習としての体験だけが残ります。その体験はいわゆる「良い思い出」となる場合は殆どで、悪くても中立的となります。

隠された感情の受容と解放

以上、「恐怖を覚えた時に、その感情を抑圧する(眼をそらす、逃げる)」とどうなるかについて長々と書きました。恐怖から逃げる、と書くとさも情けなく見えるかもしれませんが、こういったトラウマはほぼ幼少期につくられますし、その主な相手である親は小さい子供にとって「世界」に等しいため、対処できない場合が普通です。


こういったトラウマは、上に書いたように原因となる感情(今回は「恐怖」)に再度フォーカスし、状況記憶と感情を再度整合、消化することによって解消できます。ヒプノセラピーとかそうですね。


ブログ記事でしばしば内観っぽいことを書いていますが、私は主に「フォーカシング」と呼ばれる、体感を用いて隠された感情にアクセスする方法や、夢、瞑想、感情の書き出しなどで、これらの感情統合を図ってきました。


ただ、根っこにある「恐怖」という部分にはあまり注目しておらず(多分、無意識に避けていたのだと思います)。今回、この本を読んでいる際に、「家族(母)の機嫌を伺い、いつ怒鳴られるかと常にビクビクしている小さな子供」が自分の中にいることを発見しました。


そのことに気づいて、成長した自分の精神でもって「恐怖」を改めて味わい、受容すると、自分でも驚くほど楽になりました。感覚的には、自信が増大し、ものすごく自由に(自律的に)なった感じです。仕事も洗濯も感情も、ちゃんと片づけるのが大切ですね。



かなり省略しているのですが、随分長くなってしまいました。


ここまでお読み頂きありがとうございました。