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たんぽぽの自己啓発的日常

日常であったこと、感じたことについて、人生のヒントになりそうなことを綴っていくブログです

遊びの日

こんばんは。たんぽぽです

一日「意図的に」遊ぶ

先日、二日かけて家の障子の張り替えをしまして、その次の日も家の仕事をしていたのですが、そのためか、意識が仕事・学習から逸れて、だらけ気味になっておりました。昨日、ある程度立て直して「よしよし」と思っていたのですが、今日、ふと思いつきまして一日中仕事をしないで遊んでみることにしました。


計画的に実行したわけではなく、今朝の思いつきなので半ば誘惑に流された形ですが、割と面白い試みになったと思います。具体的には、食事、家事、瞑想の時間以外はほぼずっとゲームをしておりました。


分かったこととして。
(1)集中力・注意力をあまり必要としないので、仕事・学習をしている時ほど疲れない。この疲れないというのは疲労感というよりは、「注意力」「意志力」を消耗しないという感じですね。明らかに感覚が異なるので、なんらかの肉低的・化学的変化があると思うのですが、詳細は不明です。


(2)罪悪感がある。薄々気づいてはいましたが、仕事・学習は「善」であり、ゲーム・インターネット等の娯楽に時間を使うことは「悪」である。という思考パターンが浮かんできました。おそらく、親の言動によるすり込みが主な原因とは思いますが、極端かつ自由な思考を縛るものなので、手放していきたいです。

毎日が休日で、休日のない生活

会社をやめてからというもの、出勤日がない代わりに休日もなく。振り返ってみると、旅行やイベントに行く日があっても「休みの日」は一日もなかったのではないか。とここ1月くらい考えておりました。


9月下旬にある程度ネットから意識を離すことができて、仕事・学習に集中的にうちこむことができるようになったのですが。仕事・学習は気晴らしの遊び(快楽)とは違って、充実感・達成感のある作業(楽しさ)であり、一日に十分な作業をした(GoodJob というやつでしょうか)と感じられる時は、幸せな気分になります。


しかし、やはり真剣な作業には注意力・集中力が必要なもので、ずっとそれを続けるとエネルギー切れになって、それ以上続けるのが嫌になってしまいます。そのエネルギー回復のためには休息も必要なのかもしれません。しかし、休息の手段の一部は学習・仕事には直接結びつかない「娯楽」であり。上に述べたような思い込みから生じる罪悪感から、ある意味、「仕事・学習という善」と「遊び・休憩という悪」の戦いが無意識下で繰り広げられていた。ちなみに、今日の記事のタイトルも最初は「サボってみる」たったり。


今日一日の体験で自分が大きく変わった!ということはありませんし、計画にあまり影響があっても困るので、明日は平常運転に戻しますが、とくに理由のない「遊びたいから遊ぶ日」というのもあって良いのかも。と、すこし自由なものの見方ができるようになった気がします。


ここまでお読み頂きありがとうございました