たんぽぽの自己啓発的日常

日常であったこと、感じたことについて、人生のヒントになりそうなことを綴っていくブログです

瞑想の中で ~思考を観る~

こんばんは。たんぽぽです

ゆっくりと、丁寧に

3日前、体幹トレーニングのやり方を見直した、という記事を書きましたが。それ以来「見直す」という意識が高まっているのか、いろいろとやり方を見直しています。


日々の習慣である瞑想(FF瞑想)のやり方も、ちょっとずつ見直してまして。よりゆっくりと瞑想状態に入り、よりゆっくりと瞑想状態から出るようにしています。


ゆっくり入ってください、とは言われないのですが、ゆっくりと出てください。とは当初から瞑想の先生に言われていたことでして。知識とはしては知っていたのですが。家にいるとどうも時間に追われる感があったのか、アラームが鳴るとすぐに瞑想から出る。というパターンになっていたことに今さら気が付きました。3年半ですよ、3年半。そんなに長い間不適切なやり方をしていたのかと驚きますね。

思考を観る

そうした影響もあってか、今日の瞑想中に興味深い体験をしました。私は瞑想をするとほぼ意識が飛んでしまう(寝てるのかもしれない)のですが、今日は久しぶりに意識がありました。


意識が飛ばなかった場合、頭はすっきりとしていますが、基本思考が止まるということはなく、ほぼ雑念まみれです。なので、「おっと、まーた雑念に流されていた」となるわけですが。今日は「雑念(思考)が流れ始める瞬間を観る」という体験をしました。


いわゆる「おっと」とか「あっ」といった、瞬間的な「気づき」:純粋な意識だけが存在する状態を、ある程度の長さ(2、3秒?)継続した感じでしょうか。ちょっと説明が難しいのですが、自分の意識が思考から完全に分離された状態のようです。思考は止まっていないのですが、それを外から観ています。


感覚的に言うと、清流を泳ぐ小魚のような感じで。清流(水)が意識で、魚が思考ですね。基本、私たちは思考が止められないので、自分と思考を同一視してしまいがちですが、実際には意識こそが「自分」であるようです。

不思議なように見えて、誰でもやっている

先日書いたように、FF瞑想は割と長く続けていますが、この感覚を得たのは今回で3回目です。1度目は初めて瞑想を習いに行った3年半前、2度目は前回先生にところに行った2週間前くらいですね。


長く続けた成果が出てきたのか、プロセスを丁寧に行うようになったせいかは分かりませんが(両方でしょうか)、家で一人で瞑想していてもちゃんと効果あるんだな、と実感できた出来事でした。


また、上で書いたように本来の自分である「意識」と脳の活動である「思考」の分離は、通常コントロールできないだけであって、誰でも瞬間的には体験していること(「あっ」と気づくというやつです)であり。また、習慣ではなく自覚的に行動している時にも、部分的に意識は思考の支配を脱して本来の知覚力・観察力を発揮しているようだ。ということが分かりました。


今さらながら、なぜ瞑想が人生を助けるのか理解できてきたように思います。



ここまでお読み頂き、ありがとうございました。