あえて言葉にしない
こんばんは。たんぽぽです
〇夏休み?
ここ4日ほどの風邪の期間を経て、ようやくメンタル的な調子が戻ってきました。8月下旬から意志力を要する様々ことに身が入らず、娯楽にばかり気を取られるという、自己コントロール不能状態に陥っていましたが、よくやくそこから戻りつつあります。(まだ油断はできませんが)
5月からの自己改善以前の状態に逆戻りしたような感じではありましたが、そういう中でも自分の納得のいく在り方を探す意図が消えることはなかったので、そこは自分で自分を信じられる部分だな、と改めて思うところです。
また、ここ一か月は殆ど自分を律することを放棄したような精神状態だったのですが、その影響から
「自分が自堕落であると感じる葛藤の状態」 と
「制限的な思考がやや外れた状態」
の両方が奇しくも同時につくり出され、これまでとはまた違った角度から内省を行うことができました。
〇言葉にすることのデメリット
この期間に気がついたことはいくつかあるのですが、自分の無意識の思考や行動というのは『非言語的な感覚』によって決定されているのだな、ということ。
以前の私は、この『感覚』を言語(日本語)に翻訳して理解し、そこから自己改善を図ろうとしていました。ブログにだらだら長い文章を書いているときは大体そういう時ですね(笑)。
しかし、この肉体感覚、感情、思考(になる前のなにがしか)は到底言葉で表しうるものではなく、かえって言語化することによって矮小化され、本質から離れてしまうことも多々あったのではないかと感じます。
ついつい習慣として言葉での理解を試みてしまうところですが、自分の感覚に「怒り」とか「悲しみ」とか、行動に「勤勉」とか「不真面目」とか。そういうレッテルを貼らずに、感覚を『そのまま』感じてみるほうが、かえって現実に即した知見が得られ、解決に向かいそうだ、とそんなことを考えるとこです。
ここまでお読み頂き、ありがとうございました。
自分用まとめ:
・あえて言葉にしないことで、「感覚」の変質を防ぐことができる