感謝に関するメモ
こんばんは。たんぽぽです
今日は雨でしたね。昨日咲いていた福寿草も閉じていました。
ただ、よく見ると同じ株につぼみがもうひとつできていて、春を感じさせます。
〇落ち込んでいると、観えない
ちょっとまとまっていないのでメモというか随想的な記事になりますが。
私はここ数年「感謝」とか「慈悲」とか。そういうのが自分の中にあるのかよく分からなくて。自分がおかしいのではないか、と悩んだりしていました。
今、思い返すと小さい頃はそういうことを思い悩むこともなく過ごしていて。
自己否定に心が飲まれている状態で、ポジティブな感情を見出せなくなり。そこに理屈で答えを出そうとして行き詰まってしまったんですね。
しばしば思うことですが、”悩みの状態”にあるときに、思考を巡らせても解決策を見出すのは至難の業で。一旦深呼吸なり瞑想なりして、心を落ち着けるのが上策なのかな、と。
〇感謝という状態(ステート)
感情を解放するワークにおいてきわめて重要なことのひとつが、感情を悪として排除しようとするのではなく、感情に感謝して送り還すことなのですが(そのうち詳細記事にします)。
ワークの際に、「何をもって、なんの理由で感謝するんだろう」と、と感じることがしばしばありました。しかし、昨日のワークの際にふと感じたのですが、感謝に理由は必要なく、否定や拒絶から離れれば、そこには最初から感謝があるような気がします。
感覚がチラ見えしただけなので、まだ探求中ですが。人間の本来持っている善性的なものがあるとするなら、こういった感覚なのかもしれん。と思った次第。
特にオチはないです。
ここまでお読み頂き、ありがとうございました。
自分用まとめ:
・感謝というのは行為ではなく、状態のような気がする