たんぽぽの自己啓発的日常

日常であったこと、感じたことについて、人生のヒントになりそうなことを綴っていくブログです

ブログの向こうのリアリティ

こんばんは。たんぽぽです


連日の晴れは終わって今日は曇り。暑くもなし、寒くもなし。最近気がつくようになってきましたが、その日の気分は天候にも影響を受けますね。傾向として、晴れのほうが調子が良い気がします


今日は日中にプチ失敗と、重要な教訓を再確認したのですが、夕食を食べているときに

 

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この置物がこちらを見つめてじーっと何かを訴えてくる気がして。そのうち別の記事が思い浮かんだのでそっちになりました。去年のお正月にスーパーの初売りでもらったニワトリの鈴です。本日コッコちゃんと命名(安直)


〇現実感(リアリティ)
突然ですが、私が現実感、リアリティということを意識するようになったのは2011年の震災がきっかけでした。私は住居、勤務先共に宮城県の内陸でして、ぺちゃんこになった家屋は珍しくないものの(我が家も古いので壁が一部剥がれました)、沿岸部ほどの壊滅的な被害を受けることはありませんでした。


震災の2日後には新聞が届いて(新聞社と印刷所は駆けずり回って新聞作ってるってことですよね。すさまじいバイタリティだと思います)、沿岸部の悲惨な有様を伝えていました。目の前で人が波にさらわれていくという記事を読んで、エグい気持ちになりましたが、それが「エグい気持ちになっただけ」だったと分かったのは1年後くらいでした。


その日は西日本からのお客さんをつれて、沿岸部の被災地域の案内に同行していました。すでに瓦礫などは大分片付いてして、派遣されていた自衛隊も撤収していたと思います


その時に私が見たものは沿岸すぐ近くで、構造物が流されて残った家の基礎部分でした。頑丈なコンクリートの門柱はしっかり残っていて、それが墓標のように見えたのをよく覚えています。「頭をハンマーで殴られたような」という比喩表現がありますが、そんな感じでしたね。

 

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この時、私は「自分は何も分かっていなかった」と思いました。海外の紛争で、家族が爆撃で亡くなって、泣き叫んでいるおばあさんとか、家族を失ってカメラをじっと見てる少年とか映ったりしますよね。それを見て、はたして『自分自身のこと』として受け止める人は何人いるのでしょうか?


TVに映っているもの。新聞に載っている写真と文章を見て、感じるものと、すぐ近くでそれを見るのは全く感じ方が違います。あるいは、人によっては同じレベルの現実感を得る人もいるのかもしれませんが、おそらくかなりの少数派でしょう。


これはあまり感情的な話ではなく、人間の肉体的、感覚機能として、対象との物理的距離によって、感じる現実感が変化する。ということだと思いますが。とにかく、当時の私は「TVの向こうの出来事は、そうという自覚はなくとも”お話”にしか感じられないのだ」ということを痛感しました。


〇考え方が変わるとき
実は、最近このことと似た体験をしたことに気がつきました。この記事を読んだ時です

 

www.zinseitanosiku.com

「国家公務員からラーメンベンチャーへ転職した、30代男性」、めんおうさんのブログ記事です。


私がここ最近こころがけている。”<毎日>変わっていく”という言葉は本から学んだものですが、その意味が腑に落ちたのはこの記事を読んだ時だったと思います。”そうか、自分を変えるというのはこういうことか!”と納得すると同時に、変化というのは「起こす」ものなのだ、ということを実践するようになったのは、おそらくこの記事がきっかけです。


ブログをやってて良かった!と思ったことは数回ありますが、この記事は特に衝撃でした。


〇ブログの向こうのリアリティ
ここで重要な要素になるのが、先に書いた「現実感」なのですね。大変失礼な言い方をするのですが、めんおうさんは大変に人間くさい方です。しょっちゅう失敗します。怒りに駆られてお肉を食べる食べないで人のブログに反論記事を書き、ブログがプチ炎上したこともありました。(ちなみに、私は肉をそこまで食べないので「この人はお肉が好きなんだなー」と思いながら拝読していました)


だからこそ、めんおうさんがブログで「教えられなくても自ら学ぶ」ということと、それからの変化を書いた時に、すごい!と思うと同時に『自分のこと』として、『現実』として受け止め、自分もそれを実践できるようになったのだと思います。


つまり、めんおうさんを、失敗もする「同じ人間」として見ているということですね。私は自己啓発本をそれなりに読みますが、例えば松下幸之助さんだとか、本田宗一郎さんだとかを「同じ人間」ではなく、どうしても『成功者』『偉人』『自分とは違う人間』として見てしまうところがあるのでしょう。それこそが彼らの真似をできない、おそらく理由のひとつなのです。


このあたりの自分の『現実感(リアリティ)』の感じ方を、意図的に変えていくことで、学習を加速できるのではないかと模索中です。


ここまでお読み頂きありがとうございました。引用元のめんおうさんには格別の感謝を。ありがとうございます


自分用まとめ:
・「現実感」がつよいほど、自分に影響を及ぼす
・それは、無意識的にも、意図的にもそうであると思われる
・「現実感」を研究してみる

 

 

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