たんぽぽの自己啓発的日常

日常であったこと、感じたことについて、人生のヒントになりそうなことを綴っていくブログです

夢の中のトイレがきれいになる

こんばんは。たんぽぽです


今日の天気は快晴。気温は昨日ほど上がらなかった感じですね


〇きれいなトイレ(夢)
今朝の夢には久々にトイレが出てきました。私の見る不快な夢のひとつに汚れたトイレ(便器が汚れている場合もあるし、トイレ自体が古くてぼろぼろ、というパターンもある)、というのがあります。基本和式の個室が並んだ、学校型(最近の新しい建築だと洋式もあるかも)のトイレですね。


解釈はいろいろありますが、自分が感じて、未消化になっている不快な感情と記憶をなんらかのパターンで再生しているのでしょう。


ところが、今回の夢ではトイレが屋内に設置された様式の便座で、ピカピカのきれいな空間でした。夢を見ているときは他の要素もあるので、特に反応するポイントではなかったのですが、後から思い返してみると、あれっ?という感じですね。


〇そうじの神様との出会い
ブログにはまだ書いていなかったと思いますが、一か月ほど前から家のトイレ掃除をさせて貰っています。ずっと母がしていた仕事ですが、替わってもらいました。

 

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トイレ掃除を始める前に読んだ本『ディズニー そうじの神様が教えてくれたこと』。ディズニーの経営とかアイデアとかを知ろうと思って買った本なのですが、まったく予想だにしていなかった方向で衝撃を受けました。東京ディズニーランドで掃除部門を担当していた方が書いた本です。以下、私が強いインパクトを受けた部分を抜粋します。筆者が『ディズニーのそうじの神様』こと、チャック・ボヤージン氏の指導を受けてた際のシーンです。


”数日後、彼は、私たちを仮設事務所のトイレに集合させました。遠巻きに彼を見つめる私たち。なにしろ、その場所は、誰もが足早に通り過ぎたくなるほど泥や汚れにまみれたトイレだったのです。

彼は、おもむろにゴム手袋をはめると、その魔境ともいえるトイレに向かっていきました。誰もが後ずさりして、顔を見合わせます。と、次の瞬間、彼はまるで我が子を抱きかかえるように便器を勢いよく磨き始めたのです。聞こえてくるのは、彼の息づかいとタワシがリズミカルに擦れあう音。長い年月をかけて生成された岩石のように、頑なに汚れがこびりついた床の側溝、変色した便器の緑。それが、彼の手によって、命を与えられたかのように輝きを取り戻していきます。”(P,3)


「我が子を抱きかかえるように」、という表現は極めて秀逸だと思います。おそらくは、ホヤージン氏に掃除にはそう感じさせるだけのなにかがあったのでしょう。


暗くて湿気っぽい小学校のトイレ、汚れたまま清掃の時間まで放置されている会社や駅のトイレを見てきた私の「トイレは汚い・忌まわしい場所」というイメージは、この文を読んだときに粉々に砕け散り、愛すべき、清潔に保つべき場所、という考え方にとって替わられました。


〇夢の活用
このように一瞬で考え方が変わる、という経験は他にないので正直自分でも驚いています。もしかすると、私は自分が思っている以上に子供や赤ちゃんが好きなのかもしれません。


ともあれ、それ以降は思考と行動を一致させるべく、毎週トイレ掃除をするようにしています。それもあってか、夢の中に出てくるトイレも「汚れた忌まわしいもの」から「心地よい空間」へと変化を遂げたのでしょう。


夢は、普段はほとんど気がつかない無意識下の問題、葛藤などを見せてくれます。そのため、夢の中から心理的問題を探す、というのをできないかと考えていましたが、考え方が切り替わると夢も変化する、という結果が意図せずして得られましたね。


なかなか面白い体験でした。


ここまでお読み頂き、ありがとうございました。


自分用まとめ:
・トイレは汚いもの、というのは「認識」「見方」に過ぎない
・夢は無意識を映し出す水鏡として使うことができる

 

 

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