現実を見る
こんばんは。たんぽぽです
今日は雨後晴れ。今日は晴れだと思っていたので朝からザーザー降っていて意外に思いましたが、お昼前からは晴れてきました。
スーパーの植え込みでスミレを発見。どこから種が飛んでくるでしょうか
今日も散歩の途中で近所の神社にお参りに行ったところ、七五三のお参りと思しき家族連れがいまして。5歳くらいの男の子がめちゃ元気でほっこりしました。
〇期待と怒り
その後の散歩中、期待と感情についてつらつらと考えていたので、今日はそんな話でも。個人差はもちろんありますが、人間、何か自分の期待が叶わないと怒ることがあります。
通常、期待が叶わない次のくる感情は「がっかり」「落胆」といった、”希望”に対応する”失望”であるのが自然なのですが、自分の期待が叶うのが当然である、という思い込みがあると、期待が叶わないのはおかしい、という感覚から怒りが出てくるようです。
おそらく、自分の期待が叶うのが当然であるという、考え方は現実認識(すなわち世界観、パラダイム)に近いものがあるので、自分の認識が根底から覆される!という怖れを否定(又は逃避)するのために、怒りが出てくるのでしょう。
ちなみに、私の場合には、理想の状態という結果・状態だけを示して、そこに至るプロセスを説明しないタイプの講義やWSが大嫌いで、怒りが出てきます。「講義とはこうあるべき」という自分の理想をおしつけているわけですね(笑)
〇現実に即した考え方をする
私の理想が的を射ているかどうかはさておいても、世の中にそういう講義をする方がいる、ということは現実としてあるわけです。つまり、上記のような理由で怒っているとき、私は現実を認めていない。現実を否定しているわけです。
もっと分かりやすい例え話をすると、外出の予定がある日に雨が降った。というシチュエーションが考えられます。怒る人は一定割合居られるんじゃないでしょうか。端的に言うと、お天気は人間にはコントロールできない、という現実を認めていない、ということになりますね。
別の言い方をしますと、現実に起こる(起こっている)事象、現象、あるいは法則と、こうあってほしい、という期待の間に乖離がある。ということです。言ってみればルールを知らずに見様見真似でゲームをするようなもので、場合によっては全く見当違いの結果を招くこともあります。(オウンゴールとか)
外出の予定、に戻って考えますと、信頼できる天気予報から、外出の予定日を決める。それでもダメなら「諦める」。逆に、前提を覆して、天候に左右されない予定を入れる、というのがカッカせずに、健やかな休日を過ごす方法になるでしょう。
〇前提条件が存在するので、そこに気づくと捗る
とはいえ、パターンに嵌っていると、この癖から抜け出すのは難しいところがあります。考え方というのは無意識に出てくるものだからですね。性格や育った環境の影響もあり、現実とはこういうものだ、という認識にズレがあると、「思った通りにならない」ということが頻発する、という事態もあるでしょう。
自分がどんな考え方をもって生きているか、といういわば「前提条件」は、改めて意識しないと気づくことが難しいです。その気づき(昨今流行りのマインドフルネス)の力を高めるために、お会いする方にはしばしば瞑想をお勧めしています。
ここまでお読み頂きありがとうございました。
自分用まとめ:
・怒っているときは、何かを「期待」している
・「期待」が叶わないときは、なにか認識がズレている可能性がある