たんぽぽの自己啓発的日常

日常であったこと、感じたことについて、人生のヒントになりそうなことを綴っていくブログです

内的葛藤 信念・世界観編 その3

どうもこんばんは。たんぽぽです


昨日の続きとなります

tanpopo8787.hatenablog.com


前回の記事では「自分に自信がないがゆえに、自分の選択したものをうまく表現することができず、人の眼、批判を怖れる」というパターンが、自分の中に存在していることに気がつきました。


これだけだと、問題の解消には少し弱いと思いますので、もう少し探ってみたいと思います。


〇認めれらない、という信念
「自分に自信がないがゆえに、自分の選択したものをうまく表現することができず、人の眼、批判を怖れる」と書きました。


私の場合、幼少期(なんとなく覚えている2、3歳~小学校まで)において、母のご機嫌を常に気にして生きる、というパターンが極めて強く刷り込まれたという経緯がありまして。(幼児選択 というやつですね)。小さいときに結構叩かれたり、怒鳴られたりしたのが効いているかと思います。


一気に答えまで飛ぶと、おそらく「私は認められない」的な信念が無意識下の気がつかないところに隠れていると思われます。書いていてモヤッっとした不快感があるので、多分合ってますね。


〇認めらない体験(初期社会体験編)
話が飛ぶのですが、先日、ラジオで投票率低下の話題が出ていたときに、どこかの大学の先生が


「日本では学生時代に『自分の投票の結果が、自分たちの環境を決定する。つまり投票は自分たちのこれからに結びついている』という感覚がないので、投票することに意義を見いだせない」


的なことをおっしゃっていて、なるほど分かりやすい。と非常に納得しました。


私が小学5年か、6年の時に、学級委員になって、クラスの意見を全校の学級委員会で発表する、という経験があるのですが、その際、「前年の意見と被っている」という理由で即却下される、という結果になりました。


その際、「結局、計画委員でつくる(おえらい)生徒会が全部決めるんなら学級委員なんて存在する意味ねーじゃねーか、ク〇がっ!」と憎悪を燃やした記憶が残っています。


〇認めらない体験(幼児期編) の不在
上記の体験が私の「認めらない」という信念形成に作用していることは、おそらく間違いないのですが、多分、これは最初の体験ではないと思われます。


と、いうのも。この体験は11~12歳のときのものなので、最初に信念形成が行われるおよそ7歳まで、という時期からはズレているのです。(7歳を超えると、自我意識が成長してくるので、他者の影響がダイレクトに信念形成に影響しづらくなります)


通常、7歳までに核となるなんらかの感情体験があり、それにくっつく形で、次の体験が細かい条件設定として連鎖していきます。


 ・7歳までの体験(不明) → ・11歳、生徒会は〇ソ事件 → その後の私


というわけですね。


なので、この前になんらかの「私は認められない」チックな体験をしていることを思い出し、それに「気づく」ことが、この信念をキャンセル ~解除~ するのに必要であると想定できます。


今日の記事を書いている中では、「これだっ!」というのが浮かんでこなかったので、またアレコレ試しつつ、進捗があり次第記事にさせて頂ければ、と思っています。


ここまでお読みいただきありがとうございました。


自分用まとめ:
・「自分は認められない」という信念を形成した、おそらく2回目の体験を思い出した
・1回目の体験を思い出すことが必要と推察される

 

 

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