たんぽぽの自己啓発的日常

日常であったこと、感じたことについて、人生のヒントになりそうなことを綴っていくブログです

嫌いな人は嫌いでも大丈夫

こんばんは。たんぽぽです

風呂掃除をすると閃く?

今日も昨日に引き続きサボりモードでしたが、昨日よりは元気が戻ってきました。本題から話はそれますが、この「サボりモード」という言葉、私が何かをしなければならぬ、という観念に基づいて行動している可能性を示唆していますね。


さて、内部の葛藤を解消して、心的健康を取り戻すため、今日も朝からなんだかんだと考えていたのですが、風呂掃除をしているときに、フッと気が付くことがありまして、そこから大分心が軽くなりました。思い返すと、以前にも何か考え事をしている時に、風呂掃除中にひらめきがあった記憶があります。


ノートやPCに向き合って唸っているよりも、「思考」を停止して一心不乱に作業をしている時のほうが、直感的解決策は出てきやすいようですね。

距離感が大事

そんな感じのこともあり、今回のごたごたで振り返るところはいくつかあったのですが、特に重要なポイントのひとつが対人関係のスタンスでした。


1月ほど前に、とあるWSに参加した時のこと。同じWSに参加されていた方が、職場の人間関係について相談されていましたのですが、主催者の方はこのようにアドバイスされていました。(うる覚えなので、一部、私の言葉になっています)


「別に、嫌いな人は嫌い。苦手な人は苦手で良いのです。嫌いな人を無理に好きになろうとしたり、仲良くしようとしたりするから、無理が出てきます。嫌いなら、嫌いなりに距離をとると良いです。適切な距離感を保っていると、相手のことが気にならなくなってきます。すると、嫌いだった人と仲良しになることすらあります。」


WSに参加していたときは、私は「へーなるほど」くらいの感じで聞いていたのですが、今回、自分が他者の言葉をきっかけとして、自己否定の状態に陥ってみると、この言葉の意味合いが身に染みて分かってきます。

自分は自分。他人は他人

今回のごたごたでお会いした相手は、いわば私の先輩で、有用なアドバイスをたくさんくれました。一方で、いくつかの点で私と基本的なスタンスを異にしており、私の重要視するポイントをあからさまに否定する場面もありました。


それでも、私は彼のことを「私のためを思って言ってくれているのだから、悪い点に眼を向けるのは良くない」と考えることで、無意識に嫌わないようにしていたようです。このことが葛藤を生み出していました。私が彼の中で、嫌いに感じる部分は嫌いで良いのでしょう。そして、総合的に彼のことを嫌いと感じるのであれば、それはそれで構わないのだと思います。


(※無論、誰かを嫌いだからと言って陰口をたたくことはお勧めしませんし、面と向かって罵倒するのは論外です。しかし、反りの合わない人を(心の中でまで)好きになろうとすることは、自分を騙す行為であり、葛藤を増大させるだけの非常に危険な行為と言えるでしょう。)


心の成長によって、自分の中のエゴが小さくなれば、いちいちこんなことで葛藤したり、落ち込むこともなくなるのでしょうが、精神が未熟なうちは、上記のような対処が健康的かと思います。


ここまでお読み頂きありがとうございました