自分の現在の能力
こんばんは。たんぽぽです
能力について考える
唐突ですが、私は「能力」という言葉があまり好きではありませんでした。この言葉は、なにか、人を冷たい物差しで測る、よくないもののように感じでいたことがひとつ。そして、「能力」について考えることは、必然的に自分の「できないこと」について考えることにつながると思っていたためです。
自分が何かを「できない」ということに目を向けるのが、なにか、とても恐ろしいことのように感じていた部分があったのだと思います。
その恐れのでどころ
なぜ、自分が何かを「できない」ことがそこまで恐ろしいのか。これはひとえに自分の価値が下がるように感じるからです。
〇〇ができない → そんな自分に価値はない → 自分に存在価値はない
という、極めて短絡的な発想ですが、自己価値の低い状態だと、こういった思考の連鎖が起きることがあります。
その弊害
しかしながら、自分の能力を直視しないことは大きな弊害を生み出します。まったく運動習慣のない人がいきなりフルマラソンを完走したり、テスト勉強をしない人が良い点数を取ることが難しいように、自分の能力を把握できないと、無理な目標を達成しようとして、失敗することになります。
そして、その失敗によってまた自己評価が下がるという悪循環に陥ることも。すべてがすべてではありませんが、昨年の私は割とそんな状態にあった気がします。自己改善のためにたくさん目標を立てて一気にやろうとしたあたりなんかそうですね。
能力が低いことを「悪」と考えないこと
逆に言えば、十分な運動習慣のある人はフルマラソンを完走できますし、日ごろから勉強している人が良い点数を取ることはやさしいです。必要なことは、自分の現状と目標との間にどの程度のギャップがあるか把握することなのでしょう(自己啓発でよく言われるやつですね)。
当然、フルマラソンを完走できる肉体を1日、2日で手に入れることはできません。昨日の記事と似たような話になりますが、現実を踏まえて、こつこつやっていくを忘れないようにするのが大事かな。と思って、最近は色々試しています。
ここまでお読み頂き、ありがとうございました。
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