たんぽぽの自己啓発的日常

日常であったこと、感じたことについて、人生のヒントになりそうなことを綴っていくブログです

共感による傾聴 ~『7つの習慣』より~

こんばんは。たんぽぽです

読書

超有名な本『7つの習慣』。正確には、『完訳 7つの習慣 人格主義の回復』ですが、6月頭から毎日1時間くらい読んでいてまだ読み終わりません。実は自分は読書スピード遅い疑惑が・・・?


今日は結構ブログネタがあったのですが、『7つの習慣』で読んだ部分が、改めて衝撃的だったので、少しご紹介させていただきたいと思います。


第5の習慣 「まず理解に徹し、そして理解される」 の最初のあたり。P.343~345からの抜粋です

共感による傾聴(抜粋)

「まず理解に徹する」ためには、大きなパラダイムシフトが必要である。私たちはたいていまず自分を理解してもらおうとする。ほとんどの人は、相手の話を聴くときも、理解しようとして聴いているわけではない。次に自分が何を話そうか考えながら聞いている。話しているか、話す準備をしているかのどちらかなのである。すべての物事を自分のパラダイムのフィルターに遠し、自分のそれまでの経験、いわば自叙伝(自分の経験に照らし合わせ)を相手の経験に重ね合わせて理解したつもりになっている。

「そうそう、その気持ち、よくわかるわ!」とか「ぼくも同じ経験をしたんだ、それはね・・・」

これでは、自分のホームビデオを相手の行動に投影しているだけである。

(中略)

ここでいう共感による傾聴とは、「積極的傾聴」とか「振り返りの傾聴」といったテクニックではない。これらのテクニックは、単に相手の言葉をオウム返しにするだけで、人格や人間関係の土台から切り離された小手先のテクニックにすぎない。テクニックを駆使して人の話を聴くのは、相手を侮辱することにもなる。

(中略)

共感による傾聴とは、まず相手を理解しようと聴くことであり、相手の身になって聴くことである。相手を理解しよう、本当に理解したいという気持ちで聴くことである。パラダイムがまったく違うのだ。

共感とは、相手の視点に立ってみることである。相手の目で物事を眺め、相手の見ている世界を見ることである。それによって、相手のパラダイム、相手の気持ちを理解することである。

相手をコントロールしたいというエゴ

実を言うと、以前カウンセリングを行った際に、「上から目線でムカつく」的なことを言われてしまったことがあります。友人に対して無償で行っていたときの話なのですが、どこかしら「相手を良い方向に導いてあげよう」という、善意であっても独善的な、エゴの混じったコントロール感が出て、それが伝わったのもかもしれません。


上記のあたりのページは非常に重要なので、これから毎日読むようにしようと思っています。長くなりすぎるので、抜粋・抜粋になってしまいましたが、そのあたりの感覚がお伝えできればいいかな、と記事にしてみました。


ここまでお読み頂き、ありがとうございました。


自分用まとめ:
・相手の立場に立つとは、話を解釈することではない
・ひたすら反復練習


完訳 7つの習慣―人格主義の回復

完訳 7つの習慣―人格主義の回復