人と比較する ということについてつれづれ
こんばんは。たんぽぽです
ふと思いついたので
〇比較することの悩み
自分と人を比較してしまう、という悩みをたまに聞きますが、ほとんどの場合は「自分が人よりも劣っているのではないか」と感じて不安である、または劣等感により苦痛を感じる。というパターンと思います。
自分と人を比較して優越感を感じすぎて困る。とかいう悩みはあまり聞きませんからね(笑)。人間、不快感を気にしても、快感を気にすることは少ないものです。
「比較しないことが大切」という”ありがたいおはなし”もありますが、比較しないようにと言われてそうできるのならば苦労はないわけで。比較して「しまう」。つまい、自分ではコントロールできないからこそ苦しみが続くわけです。
できないことをやれ、と言われるのもまた、苦しいものですよね。この「コントロールできる」というのが極めて大切なポイントのひとつ。
〇行動が問題なのではない
人と比較する、ということに話を戻しますと。別に比較すること自体に問題があるわけではありませんね。自己改善を行う際、ひとの行動が参考になる場合もありますし、スポーツなどの「競争」の場においては必須と言えるでしょう。
比較という概念そのものを否定すると色々ややこしいことになります。つまり、つかいどころを間違えないようにすることが大事と。
〇問題は、常に内側にあるという観方
冒頭の「自分と人を比較してしまう」という悩みであれば、自分の中に眠っている何らかの悩みが他人を比較するという行為に連動して呼び起こされているという形になります。比較という行為が苦しみのトリガーになっているのは確かなのですが、苦しみの本体は別に存在しているので、比較するという目に見える部分に焦点を当てても問題は解決しません。
心の中に油がある限り、火の粉が飛んでくれば燃え上がるわけです。この火の粉を完全に防ぐのは無理がありますし、非効率です。
コントロールできない部分にある、忘れ去られた苦しみの記憶と感情にアクセスするのが根本的な解決の方法になります。これが私が最近ずーっとやってるやつですが、ようやく仕組みが観えるくらいになってきたので、また図にしてみたいと思っています。
ここまでお読み頂き、ありがとうございました。
自分用まとめ:
・比較という行為そのものに善悪や、苦しみはない
・自分で自分をコントロール、統御できないことが問題の発端となる