たんぽぽの自己啓発的日常

日常であったこと、感じたことについて、人生のヒントになりそうなことを綴っていくブログです

つらさを味わう幸せ

こんばんは。たんぽぽです


今日も曇り。風が冷たい。しかし、気温も上がっているので植物は元気ですね

 

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たぶんノゲシ。まだ小さいですね


〇早寝できず
寝不足寝不足と言いながら夜更かしを止められない今日この頃ですが、習慣化してしまった感情の解放ワークは欠かさず続けています。


正直なところを言うと、色々と葛藤が残っていて、実生活で満足のいく変化が起こせていない(と感じている)こともあり、「こんなん意味ないじゃないか」という気持ちがあるのか、「やりたくねぇー」と思うことが頻繁にあります。飽きもあるかも。


『スライト・エッジ』を読んで、継続にこそ意味があるという考え方が強化されていなければ、一週間前あたりにやめていたかもしれません。


やっていても、集中できず、みじめな気分になったり、焦ったり。ブログを書いて冷静になっている時に振り返れば、集中できないのは明らかに寝不足による疲労のせいなので(大体家人が寝た23時くらいに開始するので、もう体が疲れている)、肉体疲労が如何に負のループをつくるかが分かりますねー


〇辛さを認める
そんな感じで、昨日はひとつのテーマに集中できず、あっちに飛んだり、こっちに飛んだりしながら感情の解放ワーク。というより内観をしていたのですが。


社会的にあやふなや、今の自分を情けない、みじめと思い気持ち。孤独、寂しい。といった普段は比較的無視したり、隠したり、押し込めたりしている気持ちが出てきまして。そこでその『辛い気持ちを隠していたことに気がつきました』


言葉で表現すると難しいのですが、自分がつらい気持ちから目を背けて、向き合うことから逃げていたことを認めて、その逃げていたこと、逃げたいと思った気持ちを含めて許す感じでしょうか。


〇逃避癖を認める
そこで気がついたのは、私は一定の「辛い」感情からは逃避する(目を逸らす、隠す。行動としては”先送り”が多い)無意識のパターンがある、ということ。誤解を恐れず言えば逃避癖のようなものです。心理的な機能としては自分の心を守るためのもので、程度の差はありますが、多くの人が持っているものだと思います。私はそれが強めなのかもしれません。


あえて言葉にすると、「辛い、痛みを感じる ということが とても恐ろしいことに感じて 瞬間的にブロックする」 といった感覚ですね。


いっぺんに多くの情報や感情を処理しきれないと、頭がパンクしてしまうので、機能としては自然なものなのだと思いますが、度が過ぎると未処理の感情と思考が貯まりすぎて、無意識の葛藤が肥大化し、身動きが取れなくなってしまう場合があります(私です)


〇辛い感情を味わう幸せ
このことに気づいて、認めた時、初めて辛い感情に対して感謝の気持ちが沸いてきました。肉体的にも、精神的にも負荷がかかったりしたときに、正常な反応として辛い気持ちが出てくるわけです。それはごく自然なことです。


一方で、その負荷に耐えられないときに、一時的にそれを隠そうとするのも自然なこと。理不尽なように見えますが、それを隠すことによって葛藤が生じるのも自然なことなのです。


辛い感情の痛みに耐える心の強さ。~私の場合にはマインドフルネスの訓練と、感情に向き合うという意図によってそこに向かうことができましたが~ その強さにたどり着いたとき、喜怒哀楽の「喜」と「楽」だけでなく、「怒」と「哀」のすべてを味わい、本当の意味でバランスの取れた人生を生きることができるのかもしれぬ。と感じました。


今のところ、意図して集中しないとこのモードには入りませんが、この心の姿勢を普段のものとすれば、人生楽しそうだし、肩の力を抜いて生きられそうだなーと思います。


ここまでお読み頂きありがとうございました。


自分用まとめ:
・ポジティブな感情とネガティブな感情は等質っぽい

 

 

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