見た目と親切
こんばんは。たんぽぽです
〇春は名のみの
今日は珍しいくらいの晴れ。大変良い気分なので、何か月かぶりに土手を散歩しに行ったら風が寒く、春の植物も全然なくて拍子抜けしてしまいました。
冷静に考えれば、一週間くらい前まではずっと寒くて雪が積もっていたのですから、そんなにすぐには変わりませんね。去年が暖冬だったので、なんとなく感覚がずれているのかもしれません。
〇不審者じゃないよ
その帰り道。午後だったので、帰宅途中の小学生がたくさんいたのですが、私の家の前で一人の男の子がちらちらと私を見て「こんにちわ」と声をかけてきました。
私も「こんにちわ」と返したのですが、なんとなく挙動不審な感じなんですよね。後から考えると、私のことを不審者的に警戒していたのかもしれません。別に変な恰好はしていないと思うのですが、毛糸の帽子と、防寒と風邪対策にマスクをしているのが良くないんですかね。
とはいえ、反応しない子は全然反応しないので、子供ひとりひとりの性格というのが出ているのだろうなー、と思います。
〇思いやり
以前の私は、人からの目線を気にするのは良くないことだ!という反発的な感情から、外見を気にすることに抵抗感があったのですが、時と場合によっては、相手の印象を良くする。ということも、思いやりとか、親切のうちなのかもしれん。と、そんなことを考えたできごとでした。
ここまでお読み頂き、ありがとうございました。
自分用まとめ:
・気候の変化と植物の成長にはタイムラグがある
・見た目も親切のうち
苦手なこと
こんばんは。たんぽぽです
本日はご法事でして
私昔から人見知りするのもあって、あんま話したことのない親戚とかご近所さんが集まるご法事って苦手だったんですよね
どのくらい苦手かというと夢に見るくらい。それでうまく動けないとそれを責められたして、ますますご法事が嫌いになっていくわけです
なので、昨日はその対策として、ご法事が嫌いという葛藤と向き合ったところ、今日は無事に過ごすことができました。ありがたいことです。でも疲れましたね。
苦手なのは変わっていないようです。
どちらかというと、”苦手であることを責める”信念と感情が、葛藤を作り上げている、と。”苦手なら苦手でOK”という観方を身に着けられると、楽なようです。
ここまでお読み頂き、ありがとうございました。
自分用まとめ:
・苦手なら、苦手なりに振る舞う
人と比較する ということについてつれづれ
こんばんは。たんぽぽです
ふと思いついたので
〇比較することの悩み
自分と人を比較してしまう、という悩みをたまに聞きますが、ほとんどの場合は「自分が人よりも劣っているのではないか」と感じて不安である、または劣等感により苦痛を感じる。というパターンと思います。
自分と人を比較して優越感を感じすぎて困る。とかいう悩みはあまり聞きませんからね(笑)。人間、不快感を気にしても、快感を気にすることは少ないものです。
「比較しないことが大切」という”ありがたいおはなし”もありますが、比較しないようにと言われてそうできるのならば苦労はないわけで。比較して「しまう」。つまい、自分ではコントロールできないからこそ苦しみが続くわけです。
できないことをやれ、と言われるのもまた、苦しいものですよね。この「コントロールできる」というのが極めて大切なポイントのひとつ。
〇行動が問題なのではない
人と比較する、ということに話を戻しますと。別に比較すること自体に問題があるわけではありませんね。自己改善を行う際、ひとの行動が参考になる場合もありますし、スポーツなどの「競争」の場においては必須と言えるでしょう。
比較という概念そのものを否定すると色々ややこしいことになります。つまり、つかいどころを間違えないようにすることが大事と。
〇問題は、常に内側にあるという観方
冒頭の「自分と人を比較してしまう」という悩みであれば、自分の中に眠っている何らかの悩みが他人を比較するという行為に連動して呼び起こされているという形になります。比較という行為が苦しみのトリガーになっているのは確かなのですが、苦しみの本体は別に存在しているので、比較するという目に見える部分に焦点を当てても問題は解決しません。
心の中に油がある限り、火の粉が飛んでくれば燃え上がるわけです。この火の粉を完全に防ぐのは無理がありますし、非効率です。
コントロールできない部分にある、忘れ去られた苦しみの記憶と感情にアクセスするのが根本的な解決の方法になります。これが私が最近ずーっとやってるやつですが、ようやく仕組みが観えるくらいになってきたので、また図にしてみたいと思っています。
ここまでお読み頂き、ありがとうございました。
自分用まとめ:
・比較という行為そのものに善悪や、苦しみはない
・自分で自分をコントロール、統御できないことが問題の発端となる
散髪に関する覚書
こんばんは。たんぽぽです
今日は床屋さんに散髪に行ってきたのですが、予定よりも髪を短く切られてしまいました。以前にも何度かあったことなのですが、どうも髪型とか、長さに関してうまく意思疎通ができていないようです。
私自身があまり髪型にこだわりがないのもありますが、次に散髪に行くまでに時間があくので、その失敗を次に活かせていないのでしょうね。あと、人当たりのよくない人に当たると、萎縮してしまって、こちらの意図をうまく伝えられない、というのもあるかもしれません。
次に床屋に行くときまでに、この課題をクリアしておきたいと思います。
ここまでお読み頂き、ありがとうございました。
自分用まとめ:
・自分の望む髪の長さを表現するパターンをいくつか把握しておく
・床屋さんに萎縮する感情パターンと向き合い、解放しておく
”おもしろさ”の感覚と、かつての力
こんばんは。たんぽぽです
今日は良い天気。少し残った雪もじゃんじゃん溶けます。
この写真は雪かきされて山になった雪が日差しで溶けて、場所が坂になっているので下に水が流れている様子ですね。
特に何もない坂なので、わずかな起伏にそって、じわじわと水が前進していきます。見ていて非常におもしろいのですが、それなりに人どおりのある場所で大の大人が(平日に)駐車場でしゃがみこんで水を見ているというのは、非常に怪しいので断念しています。
そういうえば、ファーブル先生は一日中道端で虫を見ていたので、時々頭のおかしい人だと思われたという話がありますね。
私の家の前は小学校の通学路になっているので、道草をくっている小学生を良く見ます。、非常に楽しそうにしていますね。大人から見ると意味不明なレベルでパワフルなのですが、このパワフルな姿が、人の持っている本来の力なのではないか、と最近思います。
大人は子供に比べるとやることが色々あるので、そっちにエネルギーを取られてしまうのかもしれませんが、もうちょっとうまーく力を抜いて、もともとの力を発揮する方法があるんではないかなー、と模索していたり。
ここまでお読み頂き、ありがとうございました。
自分用まとめ:
・多分、何かが足りないのではなくて、不要なものを抱えすぎている
人を感動させるのはすごいことだと思う
こんばんは。たんぽぽです
やや話題が遅いですが、羽生結弦選手が冬季オリンピックで連覇を成し遂げましたね。私はテレビを見ないのでそこまで情報が入ってくるわけではないですが、地元と言うこともあり、特集が多く組まれているようです。
震災の時に某都知事が東京オリンピックがどうこう言ってのもあって、個人的にオリンピックへのヘイトが貯まっていたのですが、今回ので相殺された感あります(笑)
羽生選手を見ていると、とても本番に強い選手なのだなあ、と感じます。人前で演技するのが好きなのかもしれません。
大舞台で活躍し、人の注目を集める人というは、自分の中で疎遠な感があったのですが、彼の優勝を喜んでいる人たちをみると、それだけでも素晴らしい仕事しているのだなあ、と感じます。
いろいろと過程をすっとばした文章ですが、人を感動させるのは、すごいことだなあ、と思いました。優勝おめでとうございます。
ここまでお読み頂き、ありがとうございました。
自分用まとめ:
・人を感動させるのはすごいことだと思う(3回目)