たんぽぽの自己啓発的日常

日常であったこと、感じたことについて、人生のヒントになりそうなことを綴っていくブログです

幸せで「ある」という目標 その2

こんばんは。たんぽぽです

今、幸せに

先日、「次回に」と書いておきながら2週間近く経ってしまった記事があります。


tanpopo8787.hatenablog.com


このくらい期間が空くと、自分が何を書こうとしていたかもうろ覚えになってしまいますね。さて、『幸せで”ある”こと』についての話ですが、これは『幸せに”なる”』という表現を避ける形になっています。


私のイメージする『幸せで”ある”』という言葉は、今、この瞬間に幸せでいる意図を持ち続ける、といった意味になります。幸せであり続ける、という言い方もできるでしょうか。それは無論、SF映画のディストピア社会に出てくるような、政府や大企業に「善良なる市民の皆さん!幸せですか!」と強制されるものではなく。自分自身で、幸せであると確信できる状態です。


当然、こんな理屈っぽいブログで一喜一憂を書いているとおり、常に幸せを感じて生きてるわけでもありません。それでも、今ここで幸せであるために、という視点は大いに人生を助けてくれると感じ、この表現を使っています。

時間感覚と、商業広告の干渉を避ける

あえて『幸せに”なる”』という表現を避ける形になっているのにはいくつかの理由がありますが、ひとつの理由は幸せを先送りする可能性があるからです。単なる言葉ではありますが、前回書いた通り、人の思考は言葉の影響を受けます。この場合、『幸せに”なる”』という表現は、今の自分が幸せではない、と想像させる部分があるわけです。このあたりは、時間をどのように認識・把握しているかという感覚の差も影響しますね。


別の理由は、幸せに条件がついてしまう表現になりうること。『幸せに”なる”』という言葉は、得てして「○○になって幸せになる」という、外部環境、外部条件と自分の幸福を結びつける際に用いられます。特に、商業広告に。無論、環境が我々の幸せに一定の影響を与えることは厳然たる事実で、これを無視するのは極論です。しかし、物質的な外部条件のみで幸せが達成されないことは、世界で最も裕福な国である日本の、今の状況を見れば一目瞭然です。(故松下幸之助氏がPHPを立ち上げたのもこのあたりが理由ではないでしょうか)


だらだらと書き綴りましたが、そんな感じで。なるべく「自分の力で」「今できる最大限の」幸せを手に入れるために、そんな表現を使っています。もっとしっくりくる表現が見つかることもあるので、随時変わりますけどね。


ここまでお読み頂きありがとうございました。