たんぽぽの自己啓発的日常

日常であったこと、感じたことについて、人生のヒントになりそうなことを綴っていくブログです

オナ禁日記 222日目 性欲は味方

こんばんは。たんぽぽです


オナ禁日記 222日目です。ゾロ目ですね。現状記録など

フラッシュバック

一昨日、瞬間的にヌード映像を見たと書きましたが、案の定、日に数度その画像がフラッシュバックすることがあり、疲労時などには、エロを見たい初動に駆られることがあります。その度に感覚を受け流していますが、ドーパミン出てるんでしょうね。


何の欲求にしても、力づくで抑え付ける(抑圧する)と無理が生じるので、あまりオナ『禁』という意識は持たないようにしているのですが、やはり長年の習慣を変える際には、「禁止」せざる得ないところがあり、ちょっと負荷がかかっている感じはあるようです。

性欲について思う

こういう状況にあると、自分がうまく統制できていない「性欲」を煩わしく思うこともありますが、しかし、性欲というのは人間の機能の一つですので、これを悪と感じるのはおかしいのですよね。


視点を変えてみると、ポルノ依存症ではなく、過食症に苦しむ方は、食欲をうとましく思うこともあるのかもしれません。私は全然そういうのはありませんし、そう考えると、性欲を敵と見なすのも、やはりナンセンスなのでしょう。


問題は、性欲と、ポルノ、苦痛を感じる出来事(倦怠感、退屈などを含む)からの逃避。などの要素から、ポルノ依存症をつくり上げてしまった状況であり、こと性欲に焦点を当てるのであれば、性欲に振り回されているのが問題、という表現ができます。

性欲は味方と考えてみる

今日は瞑想中にそんなことを考えていまして、ふと「どっちかと言えば、自分は性欲を悪だと考えてるな」ということに気づきました。しかし、様々な文献を当たると、性欲・性エネルギーというのは善も悪もなく、むしろ生命エネルギーのそのものです。私たちは生きていますので、生命としてみれば、性欲は肯定的な存在。善そのものとなります。


例えるならば、性依存症というのは、馬(性欲)に変な餌(ポルノ)をやりすぎて、主人(自分の意識)の言うことを聞かなくなった状態と言えるかもしれません。


性欲を自分の体から切り離すのは難しいし、そもそも必要な機能ですから、どうな状況にあったとしても、味方、仲間として捉えるのが健全な精神状態かな、と思います。無論、どっちが主人かはわきまえておく必要がありますけどね。


ここまでお読み頂きありがとうございました。