たんぽぽの自己啓発的日常

日常であったこと、感じたことについて、人生のヒントになりそうなことを綴っていくブログです

小学5年男子の悲劇 合宿編

こんばんは。たんぽぽです


※ちょい長いです


今日も良い天気

 

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シバザクラが咲き始めました。チューリップの蕾も日に日に大きくなってきます


〇”自分”ができた頃
さてさて。おかげさまで昨日の夜はサボらずにワークができたので、思考の整理を兼ねて記事にさせて頂きます。個人的な理由で申し訳ないのですが、感情や思考からある程度自由になった状態でブログを書くと、思考が再整理されてかなり進捗が良いのです。なので、しばらくの間、この手の独白的な記事が増えるかもしれません。


先だって、裁縫箱の選択ミスからトラウマを抱えた小学5年生の時のお話を書きましたが、私の行動にブレーキをかける最大の要因もまた、小学5年生の時の出来事でした。私の子供の時の記憶は大体このあたりからはっきりしてくるので、自我がおおまかにまとまったのが、おそらくこの頃だったのでしょう。


主に、母に怒鳴られたり叩かれたりした痛みによる「かなしい」「つらい」といった感情の埋め込みはもう少し小さい時に行われたようですが、「恥ずかしい」「もうやらない」といった自尊心、つまり”自分と他者”という社会的な概念を前提としたネガティブな感情は、小学校高学年あたりで主に形成されたようです。


〇人前に出たい私
私が小学5年生の時の担任は若い男性で、割と熱血な感じの人でした。生徒にも人気がありましたし、今振り返っても”良い先生”だったのではないかと思います。学校のイベントにちらっと自分の趣味を紛れ込ませたり、自由な精神の持ち主だったのかもしれません。


話も結構おもしろかったのですが、彼が学校でしたちょっとした「面白い話」がことの発端でした。私の学校では、6年生の卒業旅行の他に、5年生で2泊3日の野外合宿がありまして。夜のキャンプファイヤーでの出し物がクラスごとにありました。


実に日本人的というか、クラス会で誰もアイデアを出さない中で、私は「おっしゃ、ここは僕が」とばかりに先生の「面白い話」を劇にして演じることを提案。ほかのアイデアも出なかったのであっさり採用されました。 ~ ここまで書いて気づいたのは、当時の(本来の?)私は出しゃばり、かつ自信家であった。ということですね。非常に驚きを感じると同時に、納得もあります ~


〇夢見るだけでは
問題は、この「面白い話」がストーリー性のあるものではなく、勢いで笑わせるタイプの非常に短いものだったことでしょうか。当時の私は「クラス全員でやる」ということを前提にして「劇」という形式にしたのでしょうが、実際にやってみると自分でもびっくりするくらい面白くなかったです。


他のクラスの演目は「男子の女装」と「オリジナルの冒険活劇」だったのですが、ダダ滑りしていた女装のほうが、目的が分かる分私監修の劇よりナンボかマシでした。恐ろしいことに冒険活劇のほうは、素人演技のわざとらしさが結構面白かったんですよね。私は非常に落ち込みました。


「何が悪かったんでしょう・・・」としょんぼりする私に「キャンプファイアーで劇をするのは難しいよ」と先生は言ってくれました。確かに間違ってませんが、今考えてみると、問題ははそこではないんじゃないかと思います(笑)


〇20年後の知恵で振り返る
この時の経験は、私の「面白いことをしたい」「面白いことを人に伝えて喜ばせたい」という欲求を封じ込めることになりました。端的に言うと『すべるのが(物凄く)怖い』という思いを抱え込むことになったのですね。失敗への怖れの核となっていたのがこの出来事だったようで、この記憶と感情と向き合い、ある程度解放したところ、新しいことへの怖れが驚くほど軽減しました。


加えて、この記事を書いている最中に「アイデアを出して夢中になるが、あとは適当」という、今も続く自分のパターンが見えてきました。


イデアを現実化させる「ディズニーの3つの部屋」という話があります。「夢想家」「実務家」「批評家」の3つの役割を自分で代わる代わる演じることで、発想・具体化・評価を行う、というものですが、私の中には基本夢想家しかいなかったのですよね。このあたりも改善していくことで、いい感じにやっていけるんじゃないかと思います。


ここまでお読み頂きありがとうございました。


自分用まとめ:
・小学男子はプライドが高く、繊細である(2回目)
・夢を見るだけは楽ちんだが、実現はしない

 

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