疲労と飽き
こんばんは。たんぽぽです
15日目と疲労
ネット制限(ネットとゲームを20時~24時の間に制限)を初めてから今日で15日目。変わらず調子は良く、日中のネット制限も問題ないのですが、ここにきて疲れのようなものが出てきました。
疲れというのは肉体的なもので、毎日8時間は寝ているのにすぐに疲れる感じなんですよね。ただ、疲労が取れない、という感じではないので、どちらかというとメンタル的なものなのかもしれません。また、ネット制限を始めてから、ネットの時間は少なくなり、寝る時間も早くなっているのに、ドライアイっぽい感じで、瞼が痙攣したりします。
日ごとの寒暖差が激しいので物理的に疲れてるのと、強い変化を自分に与えているので、その内在ストレスとか、いろいろ考えられますが、今のところ様子見です。
飽き
ネット制限を始めるきっかけになった『新しい自分に生まれ変わる「やめる」習慣』に、こんな記述がありました。
人は安定したい気持ちと変化や刺激を求める気持ちの両方が存在します。マンネリを感じたら、変化や刺激を持ち込むサインです。(P.111)
私はこれまで、「飽き」という視点をあまり重視したことはなかったのですが、ここ2,3日は作業がつまらなく感じることが増えていました。そういうときにモチベーションを上げる工夫もあらかじめしてあるので、行動が破綻してしまうことはないのですが、この先も力押しで行動するのは効率が良くなさそうです。
とりあえず、作業のパターンを変えたり、いろいろ試してみようと思っています。また、フリーランスになってから土日関係なく行動してるので、休憩の取り方がよく分からなくなっていたことに今さらながら気づきました。そんなわけで、明日は休憩の日にします。
休みなし、飽きもなしで、楽しく仕事を続けれられれば良いのですが(無茶か?)、それができない以上、体の言うことも聞かないといかんのだな。と思うところです。
ここまでお読み頂き、ありがとうございました。
~~
なんでもおなやみそうだんコーナー受付中です
詳細はこちらの記事を参照くださいね
オナ禁日記241日目 ギリギリセーフ2回目と
こんばんは。たんぽぽです
オナ禁日記241日目
ギリギリセーフその2
232日目と同じシチュエーションで、ちょっと危ない場面がありました。オナニーに至る、いろいろなパターンが複数ある場合、ひとつ解消しても別のが残っているということがあるようです。
途中でストップした場合に残る衝動については、前回よりやや弱め?前回、衝動に対して、抑え込もうとせず、そのまま体感として観察し、受容する(フォーカシングを使う)という姿勢を身につけていたので、衝動が弱いというよりは、対処がうまくできたのかもしれません。
同じパターンを9日という短い間隔で繰り返したので、次はもっと手前(行為前)で対応できるようにしたいですね。
罪悪感は不要
上記の対処によって心に余裕ができたため、罪悪感に囚われることはほぼありませんでした。おかげでストレスフリーです。
以前、オナ禁をしている際にはしばしば精神的苦痛を覚えることがあり。その時は性欲・あるいは性欲を抑えられない自分を悪として攻撃していたことが今になって分かります。自分で自分を攻撃しているのですから、苦しいのは当たり前ですね。
「弱い自分を罰する」というと、ヒロイックで正統派のように聞こえますが、実際にはうまく仕事ができない部下にどなりちらす上司のようなもので、非合理極まりない方法だったのだなあ、といまさらになって思うところです。
ここまでお読み頂き、ありがとうございました。
~~
なんでもおなやみそうだんコーナー受付中です
詳細はこちらの記事を参照くださいね
時間の整理整頓とベッポじいさん
こんばんは。たんぽぽです
13日目
ネット制限(ネットとゲームを20時~24時の間に制限)を初めてから今日で13日目。完全に守れているというわけではなく、超過してしまうこともありますが、20時前にネットをすることは一度もなく過ごせています。おかげで日中は十分に時間が取れ、自分でも驚くくらい頭がさえる感じです。
時間の使い方 意識の使い方
当然、ネットを禁止すると時間ができるので、起業のために使える時間が増えるのですが、それもあってか自分の姿勢に変化が現れました。それは慌てないこと。
昨年は「とにかく形にしなくては、行動しなくては」という焦りに飲まれてがむしゃらに頑張る(そして息切れして失敗する)ことを繰り返していたのですが、この2週間は、その気持ちからは距離をおき、むしろゆっくり・地道に・マイペースに作業をするように心がけています。
自分の焦り、慌てる気持ちを一旦脇において、ゆっくり作業をしようとすると、逆に頭が冴えて、去年どうしても解決できなかった問題が、いとも簡単に解決していったりするので、自分でも驚愕しています。
ミヒャエル・エンデの『モモ』に登場する道路掃除夫ベッポはこんなことを言っていました。
~~
「なあ、モモ」と、ベッポはたとえばこんなふうにはじめます。
「とっても長い道路をうけもつことがあるんだ。おそろしくて、これじゃとてもやりきれない。こう思ってしまう。」
「そこで、せかせかと働きだす。どんどんスピードを上げていく。ときどき目をあげて見るんだが、いつ見てものこりの道路はちーともへっていない。だからもっとすごいいきおいで働きまくる。 心配でたまらないんだ。そしてしまいには息がきれて動けなくなってしまう。道路はまだ残っているのにな。こういうやり方はいかんのだ。」
「一度に道路ぜんぶのことを考えてはいかん。わかるかな?つぎの一歩のことだけ、つぎのひと呼吸のことだけ、つぎのひと掃きのことだけを考えるんだ。いつもただつぎのことだけをな。」
「するとたのしくなってくる。これがだいじなんだ。たのしければ仕事がうまくはかどる。こういうふうにやらなきゃあだめなんだ。」
「ひょっと気がついた時には、一歩一歩すすんできた道路がぜんぶおわっとる。どうやってやりとげたかはじぶんでもわからんし、息もきれてない。」
「これがだいじなんだ。」
~~
小学校の頃、このセリフの意味はよく分かりませんでしたが、20年以上たった今になって、この言葉の意味が本当に分かった気がしますね・・・
まずは落ち着くことから
私の心理学の先生は、以前起業コンサルをされていたそうですが、会社の中が散らかっている場合、まずは整理整頓をしてもらうのだと聞いたことがあります。おそらく、物理的に整理整頓を行うことで、思考や意識を整理整頓させることが目的なのでしょう。(アメリカの企業でもデスクが整理整頓できない人は半人前とみなされるそうですね)
私の場合も、起業という作業に取り組む前に、自分の時間利用、あるいは習慣という作業スペースを整理整頓する必要があったということでしょうか。
何か気になることがあって、それに意識を奪われていると、なかなか自分の生活全体を見直すとか。遠回りでやってられないように見えたりもしますが、ここは急がば回れ、というやつなんだろうな。とつくづく実感する次第です。
ここまでお読み頂き、ありがとうございました。
モモ 時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語
- 作者: ミヒャエルエンデ,大島かおり
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1976/09/24
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログを見る
~~
なんでもおなやみそうだんコーナー受付中です
詳細はこちらの記事を参照くださいね
3度の遭遇
こんばんは。たんぽぽです
モンキチョウ
今日も例によって土手を散歩していたのですが、少し珍しいものに遭遇しまして。
ムラサキツメクサの蜜を吸うモンキチョウです。(光の加減で白く見えますが、ちゃんと黄色でした)
これ自体は別に珍しくもなんともないのですが、これは望遠カメラではなく、iPodTouchで距離15cmくらいから撮ったもの。つまりその距離に接近して、さらにiPodを近づけてもこの蝶は逃げなかかったんですよね。
以前も書いた通り、シジミチョウの仲間と違ってキチョウの仲間はかなり動くものに敏感で近づくのが難しいのですが、この個体は私が真横まで気づかずに接近して「うお、モンキチョウがいるじゃねーか!なんで逃げないんだ!?」となっても全然気づきませんでした。
ムクドリとスズメ
これだけなら、ご飯に夢中なモンキチョウを近くから観察できて面白かったです。で、終わるのですが。同じく散歩中に土手の上でムクドリに遭遇しまして。こちらもお互い接近に気づかなかったようで、距離1mくらいで鳴き声を上げて飛び去っていきました。すごい吃驚した。草の実か虫でも探していたのでしょうか。
また、散歩に出かける前。家の庭のカエデが新緑でこんもりしてるを見ていたら、枝の中でスズメが動き回っているのを見つけまして。こちらも私に気づかずに木の中を動き回っていました。よく見るとカエデに実がなっていたので(竹とんぼみたいなやつ)、それを食べに来ていたのかもしれません。
人に敏感な虫や鳥が、気づかず食事に夢中になっている場面を3度も見かけたので、ムクドリを見た後は不思議な気分で散歩から帰ってきました。
集中力とか
ここからはやや陳腐な意味付けになりますが。餌を探すのに夢中になっていると、外敵(私)の接近に気づくのが遅れることがある。ということが分かりますね。
逆に、人間としての立場で見れば、何かに夢中になることができれば、他の情報を一切シャットダウンするくらいに集中することも可能になる。ということもできます。野生動物は基本思考しませんので(チョウは脳もないですしね)、注意分散という現象自体そもそも存在しないと思われますが、集中の力というものを感じた次第です。
それにしても、先の望遠カメラ導入で初めて知りましたが、モンキチョウの眼って黄緑色なんですよね。今日は間近で自分の眼で見て感動しました。ありふれた蝶ですが、ちょっと近づいてみると新鮮で面白いものたったりするのですね。
(こっちは5月初旬に望遠カメラで撮ったもの)
ここまでお読み頂き、ありがとうございました。
~~
なんでもおなやみそうだんコーナー受付中です
詳細はこちらの記事を参照くださいね
2000回の瞑想
こんばんは。たんぽぽです
3年半
私が続けている習慣として、FF瞑想(フルフィルメント瞑想 詳細は下の昨年の記事からどうぞ)があります。先日で3年半になりました。FF瞑想のことは確か去年ブログに書いたような・・・、と思って調べてみたらぴったり1年前に書いていて笑いました。
瞑想を何年続けているのかとか殆ど意識するのことはないのですが、振り返ってみると結構長いです。私は初めて瞑想を習いに行ったとき、先生は瞑想を6年以上続けておられて、「うわ~、そんなに長く続けるのは大変だ・・・」と思ったのをよく覚えていますが、長く続けるのというのは、日々淡々と続けていくことなのだな、と思う次第です。
積みあがっていくもの
基本、30分の瞑想を1日に2回やっています。ちょっと思いついて計算したみたところ、タイトルの通り2000回を超えていました。外出などでやらなかった日を考えると、実際は2300~2400回くらいだと思います。
瞑想はもはや自分の生活の一部になっていて、なぜ始めたのかとか殆ど忘れていましたが、今続けている「理由は?」と聞かれたら、マインドフルネス:気づきを深めるため、と答えるかもしれません。
無論、瞑想だけの力ではありませんが、半年、1年とかそのくらいの時間がたつ度に自分の中の気づきの力が強まっているのを感じます。地道な積み重ねのなかで、ふと感じられる自分の成長は、静かですが、とても深く、ゆるぎない喜びと自信を感じさせてくれるものです。
時間のまやかし
私は割と熱しやすく冷めやすいところがあり、成果が出ないとすぐに諦めてしまうことがあります。特に、ここ1、2年は焦りの感情に飲まれて、何か始めては挫折というのがよくありました。
今回、3年半というまとまった時間を振り返ることで、結果は、相応の時間とプロセスに応じて姿を現す。ということわりを体感として理解できたように思います。
ここまでお読み頂き、ありがとうございました。
~~
なんでもおなやみそうだんコーナー受付中です
詳細はこちらの記事を参照くださいね
北海道に行ってきたので写真とか
こんばんは。たんぽぽです
今回、北海道に行ってきたのでその写真とか。
デジカメ持って行ったのは初めてだったのですが、空港で検査のお姉さんに「デジカメかばんに入ってるんですけど大丈夫ですか?」と聞いたら「壊れ物なので、手に持って行ったほうが良いかもしれませんね」と、言われてなるほどと思ったり。
札幌市時計台(旧札幌農学校演武場)
一部では「がっかり」として有名なようです。そこまで大きな建物ではなく、周囲に大きなビルが林立しているので、余計に小さく見えるのかもしれません。
赤レンガ庁舎(北海道庁旧本庁舎)
こちらは結構大きい建物で、広い敷地に建っていることもあり、なかなか見ごたえがあります。
札幌の市花、ライラック。5月は札幌ではライラックまつりが行われます。ほかの土地ではあまり見かけない花ですね。
新千歳空港の中にはチョコレートメーカー、ロイズの施設があり、いろいろ面白い展示物があります。
チョコレートの歴史とか、加工の道具とか。製造工程とか見られたり。
驚くべきは、空港の中にロイズのチョコレート工場が入っています。私が見たときはラインが清掃中で稼働していませんでした。残念。しかし、このロボットアームとか、個々の加工機械とか、私が昔勤めていた半導体工場にそっくりで吃驚です。
夕暮れの復路。11月にまた行く予定です。
ここまでお読み頂き、ありがとうございました。
~~
なんでもおなやみそうだんコーナー受付中です
詳細はこちらの記事を参照くださいね
習慣と心太
こんばんは。たんぽぽです
心太
今日も暑い一日でした。午後は部屋の温度が30℃を超えていたのでずっと麦茶飲んでましたね。おかげさまで日中のネット制限は続いており、連日頭がさえている感じです。今までの自分はいったい何だったのか、というレベルで色々なことに気がつくので、正直驚いています。(ブログネタにも事欠きません 笑)
今まで無意識で行ってきたことにもぽつぽつ気がつくので、それを試してみる場面もあります。今日はスーパーで買った「ところてん(黒酢)」を食べてみました。ところてんは私は食わず嫌いだったのですが、ふと「そういや食べた記憶ないや」と思いついて食べてみることに。
kan-etsu.com
こういうのです
私がてっきりこんにゃくっぽい食べごたえなんだと思ってましたが、どっちかというと寒天っぽいですね。黒酢も、酢に黒砂糖が混ざってて甘いんだろうと思ってたら、勘違いでほとんど甘くないし(黒酢、という種類のお酢のようです)、完全に先入観バリバリでした。
習慣というだけで
習慣というのは全く理性的でないもので、単に「いままでそうでなかったから」という理由で、新しいものを拒否することがあります。動物の本能的には「繰り返しているものは安全、やったことがないものはリスクがあって危険」というちゃんとした理由があるのですが、新しいものにリスクがなく、素晴らしいものだったとしても、無条件に拒否してしまうのが困りどころです。
この習慣のデメリットに影響されないためには、常に「意識的」である必要があるのかもしれません。
心太(黒酢)はそんなに好みではなかったので、また食べたいとは思いませんでしたが、なかなか面白い体験でありました。明日からは少し涼しくなるようですが、また暑くなったらあんみつでも買ってこようかな。
ここまでお読み頂き、ありがとうございました。
追記:明日からちょっと遠出するので、3日ほどブログはお休みの予定です
~~
なんでもおなやみそうだんコーナー受付中です
詳細はこちらの記事を参照くださいね