たんぽぽの自己啓発的日常

日常であったこと、感じたことについて、人生のヒントになりそうなことを綴っていくブログです

葛藤のしくみ その3 『気づく』方法あれこれ 1

こんばんは。たんぽぽです


3/2の記事の続きとなります

 

tanpopo8787.hatenablog.com


前回の最後に、”上に描いた『気づき』『許し』『解放する』という部分ですが、ぶっちゃけそんなこと言われても何それ。って方多いのではないかと思います。次回はそのあたりについて書いてみるつもりです。”


と書きましたので、そのあたりを。無意識にしまい込まれた過去の決断を『気づき』『許し』『解放する』というくだりですね。


〇気づく
こと、無意識下にしまい込まれた思考と感情に関しては、本人は全く気づいていない。知らない。ということも多いです。おそらく、「こうなると不快だから、避けよう」「こうなると快だから、またやろう」というような、動物的な反射的思考がつよく影響するのもあるかと思います(報酬系とか、そのへんの話ですね)


理屈はさておいて、どうやって『気づく』のか、というと、いろいろな方法がありますので、私の知る限りで効果があったものを挙げていきます。


(1)意図する
ソースは探せばどこかに転がっていると思いますが、人間の潜在意識(無意識)は顕在意識よりもはるかに優れた能力を持っています。およそ私たちが抱える問題について、解決する方法をすべて知っているんじゃないかという気がしますね。


そして、ここが肝要なのですが、無意識に向かって何らかの質問や意図。この場合には「葛藤をつくり出している信念と感情が知りたい」という要求を投げかけると、必ずその質問に答えを返してくれます。駅に行くルートを考えるのと同じような塩梅です。


問題があるとすれば、私たちが無意識の解答を受け取るのにあまり慣れていないこと。自分がしゃべっていては相手の声が聞こえないように、ある程度思考を沈めて意識を落ち着けないと、無意識の声は聞こえないようです。


問題を解決しようとしている時には解決法が浮かばなくて、後日突然ヒントが浮かんだりするのはこれが原因ですね。思考にスキマができた時に、閃きはやってきます。このあたりの基礎力を上げるのは瞑想が良いですね。


後、自分には解決能力がない。と信じ込んでいると、いかなる解決策が思い浮かんでも「いや、そんなことしても無駄だ」という感じに、自分で道を閉ざしてしまいます。なので、その場合には先に「自分には解決能力がない」という感情と信念と向き合うのが良いかと思われます。急がば回れ的なやつでしょうか。


(2)繰り返し見る夢
普段の私たちは無意識に気づくことはあまりないですが、それを垣間見ることができるのが夢です。顕在意識の制御が外れるので、抑圧していた負の感情やらなにやらがイメージ化されてでてきます。


殊に、繰り返し見る夢はおすすめで。その中で感じている感情。登場するシチュエーションなどは、自分の中で引っかかりをつくっている感情・信念を見つける良い手掛かりになります。 


夢をあまり見ないよ。という方には夢日記がおすすめ。夢を記録につけていると、次第に夢を覚えていられるようになります。夢を見ないのではなく、覚えていないだけらしいですよ。


(3)小さい時の記憶
前回も触れましたが、無意識にしまい込まれる感情と信念。厳密にはその「核」はほぼ100%幼児期に形成されます。大体7歳くらいまでと言われますね。


なので、小学校低学年くらいまでの記憶でよく覚えている記憶があれば、その記憶を留めている感情が、なんらかの信念を形成していることもあります。

 

長くなってしまったので、今回はここまで。心理的な問題解決のメソッドというのは数多ありますが、つくづく思うのは(1)意図することの重要性です。解決したいと願えば願うほど、意識も無意識も解決のための方法を探すようになります。


ここまでお読み頂き、ありがとうございました。


次回のメモと内容ずいぶん変わってすみません。そのうちやります。


自分用まとめ:
・無意識は見えていないようで、部分的には時々見えている
・それをうまく見つけるか、もっとよく見えるように練習するとよい
・探すと、見つかる

 

にほんブログ村 その他日記ブログ 禁欲へ
にほんブログ村

感謝に関するメモ

こんばんは。たんぽぽです


今日は雨でしたね。昨日咲いていた福寿草も閉じていました。

 

f:id:tanpopo2016:20180305193553j:plain

ただ、よく見ると同じ株につぼみがもうひとつできていて、春を感じさせます。


〇落ち込んでいると、観えない
ちょっとまとまっていないのでメモというか随想的な記事になりますが。


私はここ数年「感謝」とか「慈悲」とか。そういうのが自分の中にあるのかよく分からなくて。自分がおかしいのではないか、と悩んだりしていました。


今、思い返すと小さい頃はそういうことを思い悩むこともなく過ごしていて。


自己否定に心が飲まれている状態で、ポジティブな感情を見出せなくなり。そこに理屈で答えを出そうとして行き詰まってしまったんですね。


しばしば思うことですが、”悩みの状態”にあるときに、思考を巡らせても解決策を見出すのは至難の業で。一旦深呼吸なり瞑想なりして、心を落ち着けるのが上策なのかな、と。


〇感謝という状態(ステート)
感情を解放するワークにおいてきわめて重要なことのひとつが、感情を悪として排除しようとするのではなく、感情に感謝して送り還すことなのですが(そのうち詳細記事にします)。


ワークの際に、「何をもって、なんの理由で感謝するんだろう」と、と感じることがしばしばありました。しかし、昨日のワークの際にふと感じたのですが、感謝に理由は必要なく、否定や拒絶から離れれば、そこには最初から感謝があるような気がします。


感覚がチラ見えしただけなので、まだ探求中ですが。人間の本来持っている善性的なものがあるとするなら、こういった感覚なのかもしれん。と思った次第。


特にオチはないです。


ここまでお読み頂き、ありがとうございました。


自分用まとめ:
・感謝というのは行為ではなく、状態のような気がする

 

にほんブログ村 その他日記ブログ 禁欲へ
にほんブログ村

方法と量を選択する

こんばんは。たんぽぽです


今日は大変良い天気でした。暖かいを通り越して暑さを感じるくらい。だた、秋口にこのくらいの気温だと寒く感じるんですよね。感覚は相対的なものだなーと思います。

 

f:id:tanpopo2016:20180304191838j:plain

雪もほとんど溶けて、福寿草も咲いています


さて、今日は風呂掃除をしていたのですが、しつこい汚れが普段使っているブラシでは落ちず、たわしに洗剤をつけてごしごしやっていたら取れました。


こういう時って5回、10回くらいでは汚れが落ちなくて、50回とか100回こすってようやく綺麗になったりするんですよね。今回もかなーりごしごしやりました。


可能な範囲で量をこなす、ということ。と、ひとつの方法でうまくいかない時は別の方法を試す、ということは一見矛盾しているように思えますが、両方をうまく使っていくことが最終的な問題解決には必要なのかなー、と思ったり。


ここまでお読み頂き、ありがとうございました。


自分用まとめ:
・うまくいかないときは方法を変える
・うまくいかないときは量をこなす
・両方、覚えておくと良さげ

 

 

にほんブログ村 その他日記ブログ 禁欲へ
にほんブログ村

葛藤のしくみ その2

こんばんは。たんぽぽです


2/28の記事の続きとなります

 

tanpopo8787.hatenablog.com


〇おさらい
その1では『何かやりたいことがあるけれど、どうしてもできない』という葛藤についてとりあえげました。このとき


「止めようとしている感情」は必ず真っ当な理由があって存在しているのですが、とある理由によって無意識にしまい込まれているので、理不尽に私達の邪魔をする感覚のように見えてしまいます。(3番目の図で、下の気持ちが半分まだ無意識に隠れていることに注意してください)


この「真っ当な理由」を思い出し、解放してあげることが、葛藤の根本的な解決につながります。


〇幼児決断
今回は、この「止めようとしている感情」がなぜ存在するのか、について。


基本的に、こういった無意識下に隠れている感情と信念、思考は小さい時(7歳くらいまで)に形成されます。例をあげると


『母親が肉が嫌いだと言っている。なので、自分は肉が好きだけれど、肉を好きになってはいけない(嫌われるから)』 

ここからさらに一般化されて、『自分は食べ物を好きになってはならない』


『幼稚園で、紙芝居の時間におしゃべりをして、部屋の外に出された。なので、おしゃべりをしてはいけない(仲間外れにされるから)』

ここからさらに一般化されて、『自分の意見を外に出してはならない』


といった感じ。交流分析(TA)というメソッドにおいて”幼児決断”と呼ばれているものですね。自分の得になる場合、リスクを回避する場合とありますが、いずれの決断も無意識的になされるので、意識にのぼることはごくまれです。この決断に反する行為を今の私たちが欲した場合、なぜかできない!いやだ!となります。


前回、『下の気持ち(拒絶)が半分まだ無意識に隠れている』という表現をしましたが、いやだ!という部分だけが見えて、なぜいやかはほとんど見えていないわけですね。結果的に、葛藤を引き起こす形となります。


〇やってみないと納得はできない
私は交流分析を詳しく学んでいるわけではないので、自学による経験と、様々なメソッドのミックスによる考え方になりますが、この、無意識下にしまい込まれた自分の決断を再発見し、『気づき』『許し』『解放する』ことによって、今の自分の行動を”結果的に”妨げている思考・信念(決断)を解放することができます。(というか、できました。)


3年くらい前に幼児決断の話を聞いたときは「へー」って感じでしたが、今回のワークでよくやく納得がいきました。なんでも自分でやってみないと分からないもんですね。上記の幼児決断について触れている記事はネット上にいくらでもあるので、興味がありましたら検索してみてください。


ただ、上に描いた『気づき』『許し』『解放する』という部分ですが、ぶっちゃけそんなこと言われても何それ。って方多いのではないかと思います。次回はそのあたりについて書いてみるつもりです。一番みそになる部分と思います。


ここまでお読み頂き、ありがとうございました。


自分用まとめ:
・忘れていた記憶の中にヒントがある


次回のポイントメモ
・小さい子供は本当の意味で素直(快・不快 生きること)
・気がついていないことに、触れることはできない
・拒絶しようとする限り、感情と信念は消えない

 

にほんブログ村 その他日記ブログ 禁欲へ
にほんブログ村

春の嵐に

こんばんは。たんぽぽです


強い低気圧の通過に伴って全国大荒れのようでしたね。毎週木曜は個人的休日で、外出してのんびりするのですが、今日はうちにいました。

 

f:id:tanpopo2016:20180301184118j:plain


幸い、午後からは晴れ間があったので買い物にだけ行ったり。その時の空
うーん、「雨上がりの空気感」をお伝えしたいんですけど、どうかなぁー


雪ではなく、雨が降る。というのも久しぶりで。春、という感じですね。あったかくなってくると、体も動かしやすくなって解放感が出てきます。


夜に寝て、昼に活動するのと同じように。季節によっても、動く時期と、貯める時期があったりするのかなー、と思う一日でした。


ここまでお読み頂き、ありがとうございました。


自分用まとめ:
・自然に従うという視点も大切?

 

にほんブログ村 その他日記ブログ 禁欲へ
にほんブログ村

葛藤のしくみ その1

こんばんは。たんぽぽです


2/23の記事で

コントロールできない部分にある、忘れ去られた苦しみの記憶と感情にアクセスするのが根本的な解決の方法になります。これが私が最近ずーっとやってるやつですが、ようやく仕組みが観えるくらいになってきたので、また図にしてみたいと思っています。

 

tanpopo8787.hatenablog.com


と書いたのを思い出したので、解説的記事をば。パワポ作成にめちゃ時間かかる割に思うような説明にならなくてストレスたまるぅ!

 

よくあるシチュエーションとして、何かやりたいことがあるけれど、どうしてもできない。という葛藤があるとしましょう。

 

f:id:tanpopo2016:20180228200221p:plain

 

図にするとこんな感じ。「顕在意識で」見える心の中はこれだけです。
『自分は〇〇をしたいのに、なぜかうまくいかない・・・』となりますね。


しかし、できないならできないなりの理由があるのが当たり前。アクセルを踏んでも前に進めないならブレーキを踏んでいる信念と感情があります。つまり

 

f:id:tanpopo2016:20180228200256p:plain


こんな感じ。


この「やりたくない自分」に気づいた際に陥りがちなパターンとしては、やりたいことができない場合に、”できない自分を責める”という行為です。自分を責めるとどうなるかというと

 

f:id:tanpopo2016:20180228200318p:plain


やりたい感情と、止めようとする感情が相互に攻撃して戦争状態になります。典型的な葛藤の状態ですね。攻撃を受けた感情は防御のためにますます強力になっていき、事態の解決がますます難しくなっていきます。「やりたい自分」と「やりたくない自分の」の両方が攻撃されるので、苦しみも2倍。


「自分を責めるのは良くない」と言われるのは、こういった状態を引き起こしやすいからだと思われます。


では、なぜできない自分を責めてしまうのかというと、「止めようとしている感情」のほうをちゃんと理解できないからなんですね。


「止めようとしている感情」は必ず真っ当な理由があって存在しているのですが、とある理由によって無意識にしまい込まれているので、理不尽に私達の邪魔をする感覚のように見えてしまいます。(3番目の図で、下の気持ちが半分まだ無意識に隠れていることに注意してください)


この「真っ当な理由」を思い出し、解放してあげることが、葛藤の根本的な解決につながります。


パワーポイントの制作がすごい時間かかるので、次回に続く。


ここまでお読み頂き、ありがとうございました。


自分用まとめ:
・何かができないときは、したくない理由を「自覚する」

 

にほんブログ村 その他日記ブログ 禁欲へ
にほんブログ村

『苦労をすると優しくなる』に関する考察

こんばんは。たんぽぽです


〇お天気と人生
昨日の晴れから一転して、今日は薄曇り。今はみぞれ交じりの雪が降っていますね。木曜あたりは荒れるらしいですが、どうなるのでしょうか。


季節の変わり目はそれまでの天候パターンが崩れて、「ここのところの天気」とは違った天気になり、予想しずらいです。ちょっと人生に似ているな、と思ったりします。


〇「苦労をすると優しくなる」
さて、今回のタイトルの「苦労をすると優しくなる」ですが、この言葉に関して私はずっと前から疑問を抱いていました。


もはや、最初にこの言葉を聞いたのがいつかすら覚えていないのですが、私の周りにそういう人が見つからなかったんですよね。今になって振り返ると、亡くなった祖母がまさにそれで。仕事で走り回る祖父を支え続けたやさしい人だったのですが、今に至るまでそれに気づくことはできませんでした。


なにより、私自身が結構な苦悩の中で生きてきたのに、人に対してイライラを抱えることが多かったので、自己嫌悪を相まって「全然優しくなれねーじゃーねかよウソか」と思っていたのですね。


〇「苦労を乗り越えると優しくなる」
ここ最近の感情の解放ワークの中で気づいたことですが、人はただ苦労を経験しただけで優しくなるわけではありません。苦労、というのは、ここでは”つらい経験”と定義します。


このつらい経験を、「つらい経験だった」と認め、その中で自己を失うことなく歩み続けることができれば。いうなれば「乗り越える」「糧にする」ことができれば、『つらい経験』に共感でき、かつタフネスを持った人格:やさしい人 ができあがると思われます。


一方、つらい経験に感情的に飲み込まれてしまったり、その経験から逃避したりすると、つらい経験を恐れるようになります。”つらい経験をしている人を見るのがつらい”という無意識の働きから、苦労している人を馬鹿にしたり、攻撃したりする場合もあります。単純に自己価値の低下から卑屈になってしまうこともありますね。


なので、「苦労をすると優しくなる」というよりは、「苦労を乗り越えると優しくなる」といったほうが、より正確なのではないだろうか、といったことを、一昨日散歩しているときに思いつきました。


〇乗り越えるのは後でもできる
ちなみに、私はあんまり優しくなれなかった側の人間ですが、ここ一か月くらいで、ずっと押し殺してきた感情(主に痛みと悲しみ)や信念を解放ししていったところ、驚くくらい人への共感ができるようになってきた感じです。


なので、別に苦労をしたその時に「乗り越える」ことができなくても、いくらでも挽回は可能なようです。


ここまでお読み頂き、ありがとうございました。


自分用まとめ:
・苦労を『乗り越える』と優しくなれる
・『乗り越える』のは後でもできる

 

にほんブログ村 その他日記ブログ 禁欲へ
にほんブログ村